怪談界隈、そろそろやばいかなー

 以前からオカルトの話題にはちょくちょく触れていて、自分でも実話怪談ライトノベルを書いたことがある身であることは大前提としまして、私、もちろん黎明期より怪談を楽しんでまいりました。あなたの知らない世界にはじまり、稲川淳二のライブ、サイキック青年団新耳袋などその筋は一通り嗜んでおります。もちろん最近ではYou Tubeのいわゆる怪談界隈をヘビロテしており、毎回拝見しているくらいのファンになった怪談師もいるほどです。

 しかし、配信での怪談師がファンを呼ぶにつれ、以前からオカルト関係バラエティが抱えていた種々の問題があらためて顕著になってきたばかりか、新たな問題までも生み出されてしまったことで、「あー、そろそろここにもコンプラ整備の問題がきたなー」と感じるようになってきました。

 そこであまり更新しないブログですが、今年のまとめにも繋がる大問題として、この怪談界隈の問題をわかるひとにはわかるけど実名は出さない方針で書いていこうと思います。

 

まず怪談というのは……

 まず問題に通底している事柄をひとつあげておかねばなりません。幽霊と言ったら大抵の人はだいたいのイメージを描くことができますよね。「死者の魂である」「成仏していない」「人間に取り付く」エトセトラ……。しかし、この幽霊のイメージがある程度統一されていることが大問題なのです。「なぜならそれが巨大宗教であるから」です。例えば、怪談でお祓いには神職の助けを借りるのが常道ですが、これには神道も仏教もキリスト教も登場します。なんというか霊能者というのがいて、これが幽霊を取り扱える、という了解がある。これこそまさに全世界に渡る素朴シャーマニズム。さらに素朴なだけでなく「成仏」「悪霊」「地縛霊」などは“教義”と呼べるレベルにまで洗練されており、なぜかかなりの人がそれを体系的に理解しているという不思議な状況があります。

 基本、幽霊を怖がるから大方の怪談は恐いわけです。「幽霊がいない」と言っている人でも、前述の“教義”である幽霊のルールは知っています。この素朴シャーマニズムが浸透している証です。しかし、この素朴シャーマニズムが社会の前景に出てくると非常にまずいわけです。現実世界でシャーマンが一大権力を握ってしまったら暮らしはめちゃくちゃなことになってしまうでしょう。「古代や田舎ではシャーマニズムを信じる人々ばかりだった」と思ってしまう人が多いですが、実際はどの時代でも信じていない人がきっちり社会を作っていたわけで、霊魂を否定する識者や市井の人の逸話は過去に日記や物語に山ほど出てきます。

 そもそも「信じる」ということが微妙な問題でして、“教義”をかなり強く信じている人でも、実社会でシャーマンが我欲のために無法を働いたなら「呪いなんぞ知るか!」ときっちり断罪することでしょう(そのために呪い避けのシステムがあるのはシャーマニズム社会ではあたりまえでもあります)。人間、信じたり信じなかったりする状態が普通なわけで、怪談もこの心の働きがあるから楽しいわけです。「聞いている間だけは信じて怖がっている」のが大半の人であるとは断言してもいいでしょう。

 

怪談におけるコンプラとは

 前段のことが大問題というのは、怪談が「聞いている間だけは信じて怖がっている」楽しみ方をするために、語り手側がリアリティを非常に重視しているからです。最近の怪談は実話怪談と呼ばれるものが一般的です。嘘であると感じさせる情報を与えないためにつけられた名称ですね。そこには様々な技術があります。まず「体験した人から話を聞いた」スタイルであることは絶対として、本当に聞き取りをした話しか怪談にしない怪談師さえいます。話に矛盾があったなら聞き取りの最中でも突っ込んで質問することを推奨するなどのテクニックもあるほどです。体験したと言って噂話を語られた場合、それは都市伝説枠に入れてしまう。リアリティのために技術があるわけです。

 しかし、このリアリティ重視の姿勢は観客側にも楽しむスタイルを限定するものでもあります。「怪談の真偽をしつこく追求しない」上に「実生活に影響が出る範囲で素朴シャーマニズムの教義を信じない」人でないと社会に悪影響が出てしまうわけです。
 怪談界隈の内部でだけ「これは悪霊ですねぇ」とか「稲荷信仰の土地だから狐憑きかも」とか語りながら、実生活ではまるっきりそんなことを忘れて過ごす人でないと社会と齟齬が出てしまう。「霊が見える」と始終言っている人や、絶対に神社に近寄らない人、特定の除霊儀式をしないと一日を始められない人などを想像してもらえれば理解できると思います。しかも、それでいて特定宗教の教団に入っていないとなれば、単なる厄介な人です。

 つまり、怪談におけるコンプラとは「我々はごっこ遊びをしています」と正式に宣言し「話芸を競っています」と社会への有用性をアピールすることにほかならないでしょう。かなり無粋ですが、それがコンプラというものなのですから仕方ないと諦める他ありません。暗黙の了解だったことをきっちり明文化しなければならないほどに怪談への注目が集まったのは事実なのですから。

 

過去の炎上事例

 過去にはこの問題に起因する炎上が多数ありました。その中でも象徴的だったのは、シーツを被っただけのお化けと心霊検証と称して対話する、という完全にエンタメに振っていた配信者が「幽霊だと嘘をついている」「イカサマをやっていると宣言しろ」などと叩かれていた事例です。一切、真実だと思えるような演出を行っていなかったのに「視聴者を裏切った」という叩かれ方をしたのは衝撃でした。

 一方、いくらエンタメに振っても信じてしまう人がいるという事実を悪用したケースはメジャーどころに枚挙にいとまがないほどにあります。テレビでお笑いに近い除霊をしていた僧侶が霊感商法でかなりの金を巻き上げていたケース、霊能者としてテレビ出演していた人が番組編成に圧力をかけていたケース、存在しない神職の免許皆伝を与える高額のセミナーを開催しているケースなどです。

 

最近の事例

 最近の炎上事例はこれより複雑化しています。大規模震災の鎮魂として作られた木札が呪いの木札になってしまったと語られたケースでは、震災の犠牲者やその地方の方に失礼という真っ当な批判がされていました。木札は映画のノベルティとしても配布されていたので呪い自体嘘である、という前述のタイプの炎上も複合されていたので焦点が絞りにくくなっていますが、特定の土地の信仰を軽く扱ってしまうというのは怪談だけでなく心霊全般に言える問題でしょう。

 地方で少数の者しか手に入れられない神像を手に入れたコレクターの話も批判している人がいました。神像を信仰する人は肉食を避けるなどの複雑な禁忌を守らなければならないのですが、当然コレクターがしているはずもないという指摘です。これも地方の信仰への蔑視が問題となっただけでなく、特定宗教を外部からどう扱うかという複雑な問題をはらんでいます。

 新興宗教に近い集団を扱った配信者も批判を受けました。山で相手の名前を呼んではいけないというルールを持つ修験者がいるという話や、都市部の公園で老紳士が近隣の人の人生相談に乗っているという話を語っていました。これらは本当であれ嘘であれ特定の土地が想起できる描写がされていましたので、問題をはらんでいるものであることは間違いありません。

 

これから起こるであろう問題

 ところが、ここまで見てきたのはすでに解決策が怪談界隈内部でもとられてきた問題にすぎません。元になった土地や事件がわからないようにすることや、あくまで体験者から聞いた事実を中心に語ることなどが徹底されてきたことは視聴者としても感じます。

 問題は怪談界隈内部で自浄作用が働かないであろう事柄です。それはスピリチュアルと都市伝説です。これらは怪談と近接でありながら、それとは違う非常に新しい厄介事を抱えています。

 まずスピリチュアルですが、怪談配信者の中には「幽霊が見える」と断言している人が複数います。彼らがどこまで自覚しているかはわかりませんが、幽霊という素朴シャーマニズムの教義を信じている人にとっては、霊能者は神職であり権力者です。彼らは一様に「自分には除霊はできない」と言いますが、これは「あくまでごっこ遊びである」ことを暗に伝えているのかと思いきや、尊敬だけ受けようというつもりなのではないかと邪推させられてしまう動画を上げ続けている人もいます。「これからの日本は我欲に囚われた人がはびこる」との主張が繰り返されるとなれば、まさにスピリチュアルの教祖を目指していると言われても仕方がないのではないでしょうか。

 そして都市伝説系YouTuberは、テレビで有名になった都市伝説番組がイルミナティやディープステイトを扱っていることにならい、同様の陰謀論や終末予言を扱っています。都市伝説系YouTuberはかなり冗談であることを強調する傾向はあるものの、政府関係者と称する匿名の人物を登場させるなどの工夫を行っており、それこそQアノン系を信じていまう人々が真面目に見ていることを伺わせるコメントも多々投稿されています。

 彼らと怪談配信者とは頻繁にコラボし、人間関係的にも密接であるようです。ですが、これら二者が軽視できない問題を抱えていることは、日々のニュースからも理解できる通りです。

 

とはいえ解決はしそうもない

 それらの悪影響を詳しく語るのは次回にするとして、これらの問題は怪談界隈では認識されているものの、解決は難しいものと思われます。というのも、怪談の重鎮たちも少しズレた把握をしているようであるからです。

 「メジャー媒体で怪談を語る準備が演者とメディア双方に整っていない」と語っている動画がありました。さらに「オカルトを由来からきっちり検証していく学術的な姿勢」を重視していくような提言もあります。これらは無意味とまでは言わないものの、非常に業界の内輪的な論にとどまっていると思います。

 本質的に必要なのは「オカルトを生活に持ち込むな」という切断の姿勢であり、過度にスピリチュアルな演者や政治活動に繋がるデマを信じさせるような話題を切り捨てていくことです。あくまで怪談は話芸であり、真実めいたフィクションを語り、一時だけ現実が変容したように感じさせる……それを骨子にする他ないのではないでしょうか。

 ですが、それを現状の怪談界隈にやれというのは、やはり残酷に過ぎると書いている自分でも思います。人間関係もありますし、怪しいものを楽しむ姿勢は忘れたくない。さらに信仰を強制的に排除することは別の問題を生み出すことになる……などと難しいことが山積みだからです。

 

まとめ

 そんなわけで、怪談界隈の盛り上がりは嬉しかったものの、個人的にはそろそろ派手に爆発して終わるかも……と危惧しているという話でした。スピリチュアルと都市伝説の弊害が最新の社会問題であることは今年になってはっきりしてきたことだと思うので、それは今年のまとめとして次回に語ろうと思います。