年が明けて一ヶ月以上が経過し、昨年末に行った予想がオープンレター問題として現実になったばかりか現状ではすでに飽きられている、という時代の早さに戸惑う日々を送っています。
世界を見てみればウクライナにロシアが攻め込むかどうかという状況になっており、我が国からは遠い問題であるものの、陰謀論ウォッチャーとしては現在進行系の本物の陰謀を目にすることに後ろめたい興奮を覚えてしまっています。
ロシアからの情報をそのまま流す人々
引用した記事にある通り、ある種の人々がロシア側に立つ論陣を日本のマスコミにおいて張っており、彼らがクレムリンからの情報をそのまま流していることが伺えます。引用記事にある通りの事実誤認により偏向情報と理解できますので、一部の新聞や有識者は、いわばミトロヒン文書なしで見分けることのできるエージェントであると断言できます。我々は現在進行系の陰謀をはっきりと目撃できているわけです。
プーチンは偽史を信じているか?
ここで話はロシアからの陰謀に含まれる陰謀論のことに移ります。プーチンは政策を論文という形で事前に発表することで知られています。ウクライナ侵攻の準備として“ウクライナ人とロシア人は同一民族”という趣旨の論文を書いているのです。
ただここで疑問を抱く人も多いことでしょう。「プーチンは本当にそれを信じているのか?」と。嘘を無知な国民に信じ込ませようとしているのか、自分でも信じてしまっているのか。それによってウクライナへの固執は違った意味を持ってきますし、各国首脳によるプーチンへの説得困難度も変化するはずです。
もちろん常識的に考えれば信じていないはずなのですが、逆の立場で考えてみると、少し面白い可能性が見えてきます。
陰謀論のジレンマ
互いに心から陰謀論を信じているか疑わしい場合を考えてみましょう。
今回のケースで言えば、ロシアが自由主義陣営を「自由主義はお題目でありリアリズムのパワーゲームをしている」ように見ている可能性です。
ただその可能性が成り立つ場合、ロシアサイドが自由主義以外の価値を信奉していることも正しいことになってしまいます! これは困りました。我々はある程度自由主義はお題目ではないことを知っていますが、互いに常識的な判断のもとに議論を行うと、リアリズムに基づくパワーゲームのみが問題になり、永遠に陰謀論は議題に登らないことになります。
再度言えば、ロシア側が偽史を本当に信じている可能性はかなり低いのですが、同様に自由主義も人権もそう思われている可能性があるということです。
リアリズムによる陰謀論加担
ロシアの主張をそのまま流す人々のほとんどは「ロシアは拡大主義をとっているだけで実利のために動いている」と信じているでしょう。自分の関係していることは陰謀であって、陰謀論ではない、と信じたいのは当然です。リアリズムとして世界をとらえることは、陰謀論に加担してしまっている可能性からの逃亡でもあるのです。
いまやナチスを比喩に使うことこそ野蛮であるわけですが、そのナチスにしてからが当時でさえ「まともな政権がユダヤ陰謀論を根拠に行動に出るはずがない」と思われていたのです。「プーチンがウクライナ人とロシア人が同一民族と唱える」こと「習近平が五輪晩餐会において皇帝しか用意しないようなテーブルについた」こと「トランプがQアノンのキャッチフレーズをSNSに書き込む」ことなどは、はたして「信者を騙すためのポーズ」なのでしょうか?
日本国内において「総理が独裁政権を築こうとしている」と主張することこそ陰謀論ではありますが、互いにリアリズムのパワーゲームをしていると信じると状況を見誤るのかもしれません。
陰謀論世界観
陰謀論を拡大して考えれば、それは世界観ということでもあります。どうあれ国家はある種の宗教によって求心力を持つ以外に存在のしようがなく、根底を考えてみれば非科学的な同一民族神話や、不合理な超存在への信仰を「まとまるための方便であっても」信じている。これは多くの陰謀論と同じ構造を持っているわけです。
我々は何の陰謀によってまとまっているのか。個々人はどんな漠然とした陰謀論を信じているのか。これらはリアリズムを是とした際には議論できません。文芸の機能のひとつはその議論を行うためのものであるはずです。陰謀論を基本として世界を考えるのも面白いのではないでしょうか。