『すてるがかち! たましいの反抗記』電子書籍化!

 電子書籍の告知でございます! 本作はなんというか、自分で言うのもなんですが問題作というか、ある種とんでもない作品でして、書いた時にどうかしていたと弁明したくなる小説です。

 

 

 2006年に富士見ミステリー文庫で発売された作品で、あらすじは正統派巨大学園美少女アドベンチャーとなっておりますし、それも間違いではないのですが、なにぶん全体が有名作品のパロディとなっております。しかもそれを一言も告げずにツッコミも不在のまま大真面目にストーリーが展開されます。時代が成し遂げた遺産というか徒花というか、自称するのは恥ずかしいものの立派な奇書だと思います。

 もちろん学園ファンタジーとしてさらっと読めますし、今読み返しても普通に娯楽作品です。ただし書く理由があったかというと「さぁ……?」と言わざるを得ません。それでも各所のセリフやディテールについては「おっ、いいんじゃない?」という箇所もありますので、そこは素直にお楽しみくださいませ。

 ともあれ電子書籍告知の度に言っていますが歴史資料的な価値はあるかと思います。「あの時代は許されてたんだねぇ……」という読み方で良いので買って読んでいただけると様々な意味でネタにはなるのではないでしょうか。

 尚、あとがきは当時のものとなっておりますが、イラストにつきましては収録されておりません。ご承知の上お買い上げください。表紙イラストはろどり様に描き下ろしていただきました。実に愛らしく、自然に、あのポーズになっており素晴らしいですね。この表紙を電子書籍リーダーに表示するためにご課金くださいませ!

『心霊系ライトノベル執筆中に起きた怪異とその他の怪談』

 先日、電子書籍『心霊系ライトノベル執筆中に起きた怪異とその他の怪談』が配信になりました。

 本作は、いわゆる怪談本ですが、心霊モキュメンタリー的な要素も含まれており、古くからの怪談ファンと今まさに心霊系怪談を楽しまれている方におすすめの内容となっております。

 というのも、『ちょコワ、いかがでしょう? ほんとにあった、ちょいコワ奇譚集』という2009年に富士見書房より出版のライトノベルの改題作品となっており、自分で言うのもおこがましいところがあるのですが、心霊怪談本としては、ある種歴史的なトピックとなった一冊だと自負しているからです。

 そのため心霊モキュメンタリーとしての作りは心霊探偵風のものであり、背景を想像させる昨今流行のものではないのですが、当時のライトノベル的なストーリーで構築されており、そちらの感覚でも楽しんでいただけるものと思います。

 再読したところ、怪談業界の蓄積の結果、収録されている怪談は古くなったり飽きられたということもなく、意外にすんなり怖がれるものとなっております。その手の業界人より取材した裏話や、身内や友人から聞いた本当の実体験も含まれておりますので、そちらは当然新鮮に感じられるものでした。

 電子書籍版では、タイトル変更の他、イラストレーターの中条花月様が残念ながら廃業されているということで表紙変更、電子版あとがきが新規に書き下ろされています。

 怪談本の歴史のひとつとしても、現代怪談本としてもお楽しみいただける一冊ですので、その筋のファンの方は是非お買い上げくださいませ!

『LOST MOMENT』電子書籍化!

 『LOST MOMENT』電子書籍化です! 先日の『ハーフダラーを探して』に続きのリリースです。あわせてお読みください!

 本作は現実とは違い日本が消滅した二十世紀における超能力バトル&スパイ合戦となっております。世界的な陰謀に巻き込まれた少年が能力を得て欧州を舞台に駆け回る王道の少年熱血冒険アクションです。

 本文、あとがきは当時のまま。表紙は石狩シモ様に描き下ろしていただきました。少年熱血アクションらしい素晴らしいイラストを目印にお買い上げください。挿絵はRURU様に連絡がとれず残念ながら未収録となってしまいました。電子でお買い上げいただき、お気に召しましたら古本でお探しいただければと思います。 

 当時の少年誌的ノリや往時の冒険小説の雰囲気をお楽しみいただけることと思います。買ってね!

 

 

 

『ハーフダラーを探して』電子書籍化!

 私の過去作『ハーフダラーを探して』が電子書籍化されました!

 『東京タブロイド』同様、富士見ミステリー文庫で書かせていただいた作品でして、コンゲームとかケイパーものと呼ばれるタイプになっております。つまり詐欺師が悪人から金を巻き上げるってヤツですね。

 この頃はライトノベルが数多く出ていまして、ジャンルとして固まりつつある気配がありました。ジャンルとはいえそれは漫画っぽい空気感みたいなものと認識されていまして、ストーリーやジャンルはむしろ自由という有り難い風潮もありました。ライトノベルは、キャラクターが立っていて掛け合いがイケててちょっと非現実的な空気感があれば好きなものをやってもいいという作家にとっての実験場であり、世間にあまりないものを生み出す自由な空間だったわけです。

 そんなわけでヤング・アダルトのコンゲーム誕生と相成りました。全体の軽さとミステリーっぽいトリック、それと相反する変な深刻さに当時を感じていただければ幸いです。2000年代の頃の空気満載となっております。当時は社会派だったり露悪的だったり暴力的だったりしたんですよ。当時を知る方は懐かしさを、お若い方は時代のズレを楽しんで欲しいところです。

 本作は三巻終了。つまり3部作となっています。完全打ち切りのようにブツッと終わるものではないですが、ラストに『人間の証明』とか『太陽にほえろ!』とかそっち系の終わり方を感じていただけるようになっています。

 素晴らしいユキヲ様の表紙、挿絵とも収録されております。現在のファンの方には気になるところかと思いますので、是非ともお買い上げの方、よろしくお願いいたします!

 読んでください!

 

 

 

 

左派陰謀論について

 昨年末に書いた「書評家や人文系の学者への忌避感」ということについて早速触れていこうかと思います。

 

どんな現状だと考えているか

 「実際そんな忌避感あるの?」とか「いわゆるネトウヨとパヨクの罵り合いの一貫でしょ?」という意見もあるとは思いますが、証拠をあげていくと個人名を出してしまうことになるので微妙な書き方にはなるものの、具体的には「中国には軍事的には勝てないのだから逆らってはいけない」という論を唱えている学者、草津市長の冤罪事件に加担し事実が明らかになっても謝罪しない学者、反排外主義と反右派思想が行き過ぎて日々悪罵の言葉しか発しなくなった評論家、そしてそのような人々の論を拡散する多くの学者、批評家、作家たちが存在することが知られています。

 彼らの論を拡散する賛同者たちは、この件に触れる者をネトウヨとレッテル貼りする戦略を行い、それはそれなりの成功を収めています。それによりネトウヨとされる論者は、その活動のほとんどを例示したような人々の誤りや偏向を指摘することに費やしており、彼らと同類とされることは人格的に好ましくないと感じてしまうこと、さらにはそれらがよくある文句に過ぎないという印象を持ってしまうことに繋がっています。「いわゆるネトウヨとパヨクの罵り合いの一貫」に貶められてしまう構造が完成しているわけです。

 一方、学者や批評家は背景に権威を持っており、その権威を使いこなす術を内面化しています。彼らは、野蛮でなく文明的、下品でなく洗練、知的な振る舞いを身に着けていると周囲から見られている。さらにはそれを利用して真逆の行いをしても非難されないことを内心で知っています。その結果が異常な振る舞いを容認し、権威を大切にしてきた人々からも疑いの目を向けられているのが昨今の状況であると私は見ています。

 

左派陰謀論を定義していく必要がありそう

 とはいえ、それはまだ疑いの目に過ぎません。学者や批評家、つまりは人文系著述業者が行う異常な主張は、他の業種であればいわゆるキャンセル(職を失う)に値するものであっても公的には批判すらされていませんし、政党議員、あるいはアドバイザーとして異常な主張を持ち込んでも、陰謀論、排外主義が政党に持ち込まれた際ほどには問題視されません。

 そこで、ここではその「異常な主張」を取り上げ、それらがいわゆる陰謀論と扱われるべきであるという話をしておこうと思います。

 

現在主流の陰謀論定義

 陰謀論の定義は2013年のアメリカでの研究『一般的陰謀論者信念尺度(CGBS)』及び『陰謀論的心性質問票(CMS)』によって尺度が測れるものとされることが多いですが、CGBSは陰謀論の事例をもとに信じるか信じないかを回答する形式であるため、アメリカでは信じるものの多い宇宙人と政府の関係というものも主要な項目に含まれており、日本ではCMSが採用されることが多いようです。

陰謀論的心性質問票』は、1:極秘の事案 2:隠された動機 3:厳重な監視 4:秘密活動 5:秘密組織 の五項目について、「そう思う」から「そう思わない」の五段階で回答していくもので、それぞれの内容はこのようなものです(英語から私が意訳)。

  1. 一般人には秘匿されている事件が世界では数多く起きている
  2. 政府は通常その行動の真の動機を隠すものである
  3. 政府は一般市民を厳重に監視している
  4. 無関係に見える事件であっても秘密裏に行われた活動により裏では関連していることが多い
  5. 政治決定に大きな影響を与える秘密組織が存在する

 これはご覧の通り政治系の質問に偏っています。ただし、これは心性傾向について調査するものであり、具体的に陰謀論を信じているかどうかは別の調査を行う必要があることに留意する必要があります。現状では各国で行われた調査で具体的な陰謀論信念を持っていることとの相関関係が認められています。

 

左派陰謀論の実例

 左派陰謀論は観測する限りでは次のようなものがあるでしょう(左派ポピュリズム政党とその支持者の発言より)。

  • 日本の現政府は戦争をしたがっている
  • 福島の原発事故関連において拡散された放射能量は相当なものになるが隠蔽されている
  • 統一教会自民党に対し強い影響力を持っている
  • 日本における女性差別は悪化し続けている
  • 財務省は国民からの搾取のみを考えている

 取り上げたものだけでもCMSのかなりの項目に対して合致することがわかります。さらにこれらは、「科学への信頼を毀損する」「過激かつ非合法な政治活動を動機づける」「公共における相互信頼を破壊する」という意味合いにおいても、代表的な右派陰謀論と同列に扱うべきものです。

 

陰謀でなく実在だという意見について

 上記の左派陰謀論について「自分が信じるこの論だけは事実なので遺憾」と思う方もおられるでしょうし、「なぜ女性差別がわざわざ取り上げられているのか」と憤る方もおられるでしょうが、あえて言えば「陰謀が本当だったとしても、それに対する行動が正常ではない」ことで陰謀論と呼ばれることは強く認識しておかなければならないでしょう。

 陰謀が進行していたとして、それを知った時にするべきことは、知り得た極秘情報を拡散したり、反対意見を持つものを罵倒したり、大っぴらに世相への抵抗をアピールすることではないはずです。

 「無知な大衆に真実を教えてやる」「権力に無抵抗な市民と自分は違う」という意識がそこにあれば、それは陰謀が事実であっても陰謀論と扱われることは間違いありません。

 

左派陰謀論の特色

 これまでのことを踏まえて、左派陰謀論を見てみれば、事実ではあるがすでに解決済みか単にマイナーな事象を政権に結びつけているものが主流であることがわかります。統一教会が与党に影響力があったとしても限定的なものでしょうし、同じ構造の公明党陰謀論として取り上げているのは主に右派です。これは党派性がそうさせたのではなく、公明党創価学会の関係はすでに世間一般に周知されているからという面が大きいでしょう。左派陰謀論は「無知な大衆に教えてやる」という側面で成立しているのです。

 事実であるがゆえに陰謀論とは扱われていない米軍基地問題や、男女差別への反対、原発建造反対などについても、根底にあるものは同様で、そのため活動も「科学への信頼を毀損する」「過激かつ非合法な政治活動を動機づける」「公共における相互信頼を破壊する」ものとなっていると何度でも繰り返す必要があります。

 また、無知な大衆への反発は欧米イデオロギーへの反対に結びつきやすく、人文系の著名人が自ら考えて発言した結果、ロシアや中国のプロパガンダと同一のことを主張していることも特徴のひとつとしてあげられます。この主張は右派陰謀論と同一であり、やはりここでも右派陰謀論と区別するべきではないという結論になります。

 

左派陰謀論を遠ざける

 しかし右派陰謀論と違い、左派陰謀論はオカルト色がほぼなく、反米や反ファシズム、反軍拡、反独裁など一般的な人々なら抱いているイデオロギーを後押しするものがほとんどで、その主張をしている知識人たちも、異常な態度に至るまではひとかどの人物と見られていました。現役の新聞記者や主要テレビ局の報道局の現役局員にも左派陰謀論者は見られます。となると、一般人としては、現状で事実と違う認定がされている論を主張しているものでないなら、左派陰謀論を見分ける方法はありません。

 新規な左派陰謀論を避けるためには、残念ながら属人的判断をする他にないことになります。左派陰謀論に陥りがちな心性を主張者が持っているかどうかで判断する。つまり「無知な大衆に教えてやるという態度」を普段からしている人の論をある程度切り捨てる。他には「政治的論争を普段からしがちである」とか「政敵を普段から探しており相手の失言をあげつらう準備をしている」等の要素もあるでしょうか。

 左派陰謀論に陥りがちな心性がウォッチャーには容易に判別できる以上、左派陰謀論者とその周辺に敵対的でないアンケートを行い、そのデータに沿って日本版の『陰謀論的心性質問票(CMS)』を作り直すことであるのは明らかです。そしてそれは人文系、しかも一般には嫌われている社会学系アカデミアにしかできないことです。それが機能することがわかれば、左派陰謀論から人文系知識人を遠ざけることにも繋がるはずです。

 

陰謀論ウォッチャーにとっての課題

 しかし、ここまで見てきた構造は陰謀論を告発し、否定する側にも同様に発生しています。この文章も「一般には周知されていない陰謀論をあげつらう」ものですので、私自身が左派陰謀論的な心性を持っていることになります。陰謀論陰謀論と思っていない大衆に真実を教えるという動機で書かれているわけで、さらにはこの文章が気に入らない人にとっては、分断を加速するものである感じられるでしょう。

 現段階ではプラス面の方が大きいだろうとの判断からそうしていますが、もしこれと同じ論を何度も繰り返したり、新たな左派陰謀論を探したりし始めるようだと私が陰謀論者になってしまうことになる。

 一般論としても、政治的な啓蒙言説で成功した者は、その成功を背景として同じテーマの論を繰り返さないことが重要なのかもしれません。あるいは多くの人にとって重要なのは、完全に政治的な発言から手を引くことなのかもしれません。

 もちろん、それでは独裁や圧政に声を上げることを妨げてしまうことになりますし、社会の悪に人々の目を向けさせるために必要なのは政治的発言であることは間違いありませんので、バランスの問題ではあるのですが。

 

 長い文章になりましたが、やはりこれを最後にこの件については触れない方が良さそうです。陰謀論に関係していることですので言及しましたが、あくまで陰謀論を減らすための提起であり、現在陰謀論に賛同する人を責めるものではありません。なにしろ「ネトウヨとかパヨクと誰かを切り捨てる」ことも左派陰謀論的心性を設定するとしたら指標になる事項になるでしょうから……。

2025年の総括は「飽き」

 毎年、オカルトや陰謀論、出版業界の観測から感じた個人的感想を総括しているのですが、今年は陰謀論系の定着化が進行してしまい、なんとも苦々しい思いを抱く年となってしまいました。

 それはそれで危険な状態ではあるのですが、逆に一般的は判断力や認知を有している人々がそれから離れたということでもあります。そこから「飽き」というキーワードを感じたのが今年全体を振り返っての個人的な意見となるでしょうか。

 

陰謀論の定着

 今年は陰謀論の政治化が目立った年となりました。公的にもネット上にロシアのプロパガンダが存在していることが認められました。ロシアから直接に指令を受けているアカウント以外では、陰謀論やスピリチュアルに親和性が高い一般アカウントが「真実である」と信じ込んで拡散していることが観測されています。地球平面説や永久機関などの支持者がロシアの勝利を信じているというのも脈絡がないのですが、西欧的価値観への反発という点である意味一貫はしており、そのことが根強い人気(?)になってしまっています。

 その意味では相変わらず陰謀論政治勢力になり得る危険な力を相変わらず持ち続けています。

 

浮動票の動向から

 それでも、国内での陰謀論政党の活動を見てみれば、一時期盛んだったデモや街宣活動は目に見えて衰退しています。。高まっていた陰謀論政党への支持は急落し、ポピュリズム的手法の政党への支持率もあわせて低下していることが観測されます。代わって与党への支持率が上昇したので、これを陰謀論コモディティ化と絶望的に捉える人もいるでしょうが、一般的には浮動票が与党に戻ったと考えられ、すなわち「この政党おかしすぎない?」と気付いた人が多数いるということになるのでしょう。中にはきっちり陰謀論を脱却した人もいると考えると、この浮動票の動きこそが陰謀論脱却のヒントになるような気がしています。

 

「飽きる」という感覚なのでは?

 よく「目覚める」という言い方を陰謀論者は自称します。この常識に反することを信じてこれまでの自分を一新する感覚こそが陰謀論の根幹にある快楽なのはよく知られるところです。

 そしてこれまで陰謀論から脱した(脱スピみたいなのが有名ですね)と自称する人はそれなりの数いるわけですが、このタイプの人はその後の活動を観測する限り、脱却が「さらなる目覚め」でしかないケースが散見されます。他の極論にハマっているだけで、自分を一新する感覚を繰り返し求めてしまっているわけです。

 そこから考えれば、真の脱却は陰謀論政党の支持者たちが離れたように、「なんか飽きちゃったので」とか「あれは一時のブームだったから」という感覚の中にこそあるのではないでしょうか。

 飽きてしまってなんとなく活動や発信をしなくなった人は、当然外からは目立ちませんので、総数の減少という枠でしか観測できないわけですが、アンケートからするとかなりの数になるわけです。

 

重大と思っていたことにも飽きていい

 例えば趣味に命をかけていても、ある瞬間にふっとすべて無価値に思えたりすることがあります。コレクションがガラクタに見えたり、上達しても意味がないなと感じる時が必ずある。その瞬間がやってきたとき、普通の人は「ここまでやってきたのだから」とか「新鮮さを思い出そう」と考える。そうしなければなんとなくフェードアウトしてしまうことはわかりきっているからです。

 どんな趣味でもそういう瞬間はあるというなら、それが政治活動や宗教、思想においても起こることは確実です。とすれば、飽きがきた際に自己教化さえしなければ、脱却することはとても簡単なはずです。

 かつていかに重大だった事であろうとも、それが一時の流行であったと切り捨てる軽さには、決して軽薄ではない意味があるはずです。その思想を持った集団が間違っていると感じたなら、構成員たちが素晴らしい人に見えないときが来たなら、自分でも妙なことをしていると感じたなら、飽きてしまってもいい。

 命よりも大事に思えていたし、実際に殉死した者すらいる信仰でさえ、飽きたらどうでもいいものである……ということを書くと反発を生むでしょうし、自分自身の中にも反発心が生まれてきますが、オカルトで言えば前世ブームの頃には、それを信じたから自殺した人もいるのです。それこそが軽々しい流行にも命をかけられる人間の精神の表れです。

 となれば、飽きて活動を少なくしていくこと自体、それほど恥ずかしいことではないし、ましてなにかを裏切ったことにはならない。

 気楽に飽きていきましょう。世の中のほとんどのことは流行です。たとえ多数の人が命を代償にしていたとしても、流行に過ぎないものはこれまでの多数あったのですから。

 

流行とそうでないことを見分ける

 とはいえ、流行とそうでないことを見分ける力も大事になってきます。例えば排外主義もそれと真逆の反差別運動も流行ですが、差別や外国人の就業、文化摩擦などの問題は流行ではないということです。さらに言えば流行だからといってやはり害になるようなスピリチュアルや陰謀論、諸々の極端な主義、宗教運動などを軽視して良いということではありません。それらを見分けて、流行に流されず、飽きていてもやるしかない作業はやっていくしかない、というわけです。

 これからも色々なことが流行っていくでしょうが、乗ったり離れたりうまくやっていけるといいですね。

 

小説についても「飽き」の波が……

 ところで、私の本業である(ということにしたい)小説についても今年は世間に「飽き」の波が来たように思います。世間が小説自体に飽きたという意味でもあるのですが、大きくは「小説に人生の大切なことが書かれている」とか「作家が世間への発言権を持つ智者の代表である」というようなことが流行に過ぎなかったことが露呈したという感覚ですね。

 大手の書店がインフルエンサーを呼んで楽しいを中心にしたタイプのイベントを行うようになっていますし、書評家や人文系の学者に拒否感を持つ人々が増えたことからも、小説は娯楽の機能を重視するような流れになっていることが感じられます。「本を集めて書棚を見せる」とか「積読」も過ぎ去った流行としみじみしてしまいますね。

 書評家や人文系の学者への拒否感は、陰謀論にも関係することですので、またいずれウォッチしたことを書かねばならないでしょうが、ロシアのプロパガンダ陰謀論系の人々に親和性が高かったのと同様のことが、中国のプロパガンダと書評系の間にあるということが主たる原因と感じていることだけは記しておきます。そちらの系統の論説も陰謀論としての広がりを持ち、別の生態系を構築しているのは明らかです。

 まとめれば、「小説が“知”の中心ではなくなった」とそれこそ書評家が言っています。ですが、元々が長期間にわたって不思議と「知の中心」だと思われていただけのことです。娯楽と言語効果の探求以外のことを小説に乗っける流行に世間がようやく飽きたということでしかありません。

 とはいえ、そうなってくると小説は他ジャンルにアドバンテージが少ないわけで、これから小説にとっては寂しい時代になることも確か。これからというか、もう来年には小説の売上はかなり厳しいことになるでしょうね。

 

個人的には

 個人としては、デビュー作『東京タブロイド』電子書籍化などありましたが、こちらのお買い上げの方をよろしくお願い申し上げます。陰謀論ウォッチの方にも二十五年前の資料としてお楽しみいただけると思います。

 来年も電子書籍では動きがあるかもしれません。その際は重ねてよろしくお願い申し上げます!

 来年は楽しい活動ができる年にしたいですねぇ。