怪談界隈、そろそろやばいかなー

 以前からオカルトの話題にはちょくちょく触れていて、自分でも実話怪談ライトノベルを書いたことがある身であることは大前提としまして、私、もちろん黎明期より怪談を楽しんでまいりました。あなたの知らない世界にはじまり、稲川淳二のライブ、サイキック青年団新耳袋などその筋は一通り嗜んでおります。もちろん最近ではYou Tubeのいわゆる怪談界隈をヘビロテしており、毎回拝見しているくらいのファンになった怪談師もいるほどです。

 しかし、配信での怪談師がファンを呼ぶにつれ、以前からオカルト関係バラエティが抱えていた種々の問題があらためて顕著になってきたばかりか、新たな問題までも生み出されてしまったことで、「あー、そろそろここにもコンプラ整備の問題がきたなー」と感じるようになってきました。

 そこであまり更新しないブログですが、今年のまとめにも繋がる大問題として、この怪談界隈の問題をわかるひとにはわかるけど実名は出さない方針で書いていこうと思います。

 

まず怪談というのは……

 まず問題に通底している事柄をひとつあげておかねばなりません。幽霊と言ったら大抵の人はだいたいのイメージを描くことができますよね。「死者の魂である」「成仏していない」「人間に取り付く」エトセトラ……。しかし、この幽霊のイメージがある程度統一されていることが大問題なのです。「なぜならそれが巨大宗教であるから」です。例えば、怪談でお祓いには神職の助けを借りるのが常道ですが、これには神道も仏教もキリスト教も登場します。なんというか霊能者というのがいて、これが幽霊を取り扱える、という了解がある。これこそまさに全世界に渡る素朴シャーマニズム。さらに素朴なだけでなく「成仏」「悪霊」「地縛霊」などは“教義”と呼べるレベルにまで洗練されており、なぜかかなりの人がそれを体系的に理解しているという不思議な状況があります。

 基本、幽霊を怖がるから大方の怪談は恐いわけです。「幽霊がいない」と言っている人でも、前述の“教義”である幽霊のルールは知っています。この素朴シャーマニズムが浸透している証です。しかし、この素朴シャーマニズムが社会の前景に出てくると非常にまずいわけです。現実世界でシャーマンが一大権力を握ってしまったら暮らしはめちゃくちゃなことになってしまうでしょう。「古代や田舎ではシャーマニズムを信じる人々ばかりだった」と思ってしまう人が多いですが、実際はどの時代でも信じていない人がきっちり社会を作っていたわけで、霊魂を否定する識者や市井の人の逸話は過去に日記や物語に山ほど出てきます。

 そもそも「信じる」ということが微妙な問題でして、“教義”をかなり強く信じている人でも、実社会でシャーマンが我欲のために無法を働いたなら「呪いなんぞ知るか!」ときっちり断罪することでしょう(そのために呪い避けのシステムがあるのはシャーマニズム社会ではあたりまえでもあります)。人間、信じたり信じなかったりする状態が普通なわけで、怪談もこの心の働きがあるから楽しいわけです。「聞いている間だけは信じて怖がっている」のが大半の人であるとは断言してもいいでしょう。

 

怪談におけるコンプラとは

 前段のことが大問題というのは、怪談が「聞いている間だけは信じて怖がっている」楽しみ方をするために、語り手側がリアリティを非常に重視しているからです。最近の怪談は実話怪談と呼ばれるものが一般的です。嘘であると感じさせる情報を与えないためにつけられた名称ですね。そこには様々な技術があります。まず「体験した人から話を聞いた」スタイルであることは絶対として、本当に聞き取りをした話しか怪談にしない怪談師さえいます。話に矛盾があったなら聞き取りの最中でも突っ込んで質問することを推奨するなどのテクニックもあるほどです。体験したと言って噂話を語られた場合、それは都市伝説枠に入れてしまう。リアリティのために技術があるわけです。

 しかし、このリアリティ重視の姿勢は観客側にも楽しむスタイルを限定するものでもあります。「怪談の真偽をしつこく追求しない」上に「実生活に影響が出る範囲で素朴シャーマニズムの教義を信じない」人でないと社会に悪影響が出てしまうわけです。
 怪談界隈の内部でだけ「これは悪霊ですねぇ」とか「稲荷信仰の土地だから狐憑きかも」とか語りながら、実生活ではまるっきりそんなことを忘れて過ごす人でないと社会と齟齬が出てしまう。「霊が見える」と始終言っている人や、絶対に神社に近寄らない人、特定の除霊儀式をしないと一日を始められない人などを想像してもらえれば理解できると思います。しかも、それでいて特定宗教の教団に入っていないとなれば、単なる厄介な人です。

 つまり、怪談におけるコンプラとは「我々はごっこ遊びをしています」と正式に宣言し「話芸を競っています」と社会への有用性をアピールすることにほかならないでしょう。かなり無粋ですが、それがコンプラというものなのですから仕方ないと諦める他ありません。暗黙の了解だったことをきっちり明文化しなければならないほどに怪談への注目が集まったのは事実なのですから。

 

過去の炎上事例

 過去にはこの問題に起因する炎上が多数ありました。その中でも象徴的だったのは、シーツを被っただけのお化けと心霊検証と称して対話する、という完全にエンタメに振っていた配信者が「幽霊だと嘘をついている」「イカサマをやっていると宣言しろ」などと叩かれていた事例です。一切、真実だと思えるような演出を行っていなかったのに「視聴者を裏切った」という叩かれ方をしたのは衝撃でした。

 一方、いくらエンタメに振っても信じてしまう人がいるという事実を悪用したケースはメジャーどころに枚挙にいとまがないほどにあります。テレビでお笑いに近い除霊をしていた僧侶が霊感商法でかなりの金を巻き上げていたケース、霊能者としてテレビ出演していた人が番組編成に圧力をかけていたケース、存在しない神職の免許皆伝を与える高額のセミナーを開催しているケースなどです。

 

最近の事例

 最近の炎上事例はこれより複雑化しています。大規模震災の鎮魂として作られた木札が呪いの木札になってしまったと語られたケースでは、震災の犠牲者やその地方の方に失礼という真っ当な批判がされていました。木札は映画のノベルティとしても配布されていたので呪い自体嘘である、という前述のタイプの炎上も複合されていたので焦点が絞りにくくなっていますが、特定の土地の信仰を軽く扱ってしまうというのは怪談だけでなく心霊全般に言える問題でしょう。

 地方で少数の者しか手に入れられない神像を手に入れたコレクターの話も批判している人がいました。神像を信仰する人は肉食を避けるなどの複雑な禁忌を守らなければならないのですが、当然コレクターがしているはずもないという指摘です。これも地方の信仰への蔑視が問題となっただけでなく、特定宗教を外部からどう扱うかという複雑な問題をはらんでいます。

 新興宗教に近い集団を扱った配信者も批判を受けました。山で相手の名前を呼んではいけないというルールを持つ修験者がいるという話や、都市部の公園で老紳士が近隣の人の人生相談に乗っているという話を語っていました。これらは本当であれ嘘であれ特定の土地が想起できる描写がされていましたので、問題をはらんでいるものであることは間違いありません。

 

これから起こるであろう問題

 ところが、ここまで見てきたのはすでに解決策が怪談界隈内部でもとられてきた問題にすぎません。元になった土地や事件がわからないようにすることや、あくまで体験者から聞いた事実を中心に語ることなどが徹底されてきたことは視聴者としても感じます。

 問題は怪談界隈内部で自浄作用が働かないであろう事柄です。それはスピリチュアルと都市伝説です。これらは怪談と近接でありながら、それとは違う非常に新しい厄介事を抱えています。

 まずスピリチュアルですが、怪談配信者の中には「幽霊が見える」と断言している人が複数います。彼らがどこまで自覚しているかはわかりませんが、幽霊という素朴シャーマニズムの教義を信じている人にとっては、霊能者は神職であり権力者です。彼らは一様に「自分には除霊はできない」と言いますが、これは「あくまでごっこ遊びである」ことを暗に伝えているのかと思いきや、尊敬だけ受けようというつもりなのではないかと邪推させられてしまう動画を上げ続けている人もいます。「これからの日本は我欲に囚われた人がはびこる」との主張が繰り返されるとなれば、まさにスピリチュアルの教祖を目指していると言われても仕方がないのではないでしょうか。

 そして都市伝説系YouTuberは、テレビで有名になった都市伝説番組がイルミナティやディープステイトを扱っていることにならい、同様の陰謀論や終末予言を扱っています。都市伝説系YouTuberはかなり冗談であることを強調する傾向はあるものの、政府関係者と称する匿名の人物を登場させるなどの工夫を行っており、それこそQアノン系を信じていまう人々が真面目に見ていることを伺わせるコメントも多々投稿されています。

 彼らと怪談配信者とは頻繁にコラボし、人間関係的にも密接であるようです。ですが、これら二者が軽視できない問題を抱えていることは、日々のニュースからも理解できる通りです。

 

とはいえ解決はしそうもない

 それらの悪影響を詳しく語るのは次回にするとして、これらの問題は怪談界隈では認識されているものの、解決は難しいものと思われます。というのも、怪談の重鎮たちも少しズレた把握をしているようであるからです。

 「メジャー媒体で怪談を語る準備が演者とメディア双方に整っていない」と語っている動画がありました。さらに「オカルトを由来からきっちり検証していく学術的な姿勢」を重視していくような提言もあります。これらは無意味とまでは言わないものの、非常に業界の内輪的な論にとどまっていると思います。

 本質的に必要なのは「オカルトを生活に持ち込むな」という切断の姿勢であり、過度にスピリチュアルな演者や政治活動に繋がるデマを信じさせるような話題を切り捨てていくことです。あくまで怪談は話芸であり、真実めいたフィクションを語り、一時だけ現実が変容したように感じさせる……それを骨子にする他ないのではないでしょうか。

 ですが、それを現状の怪談界隈にやれというのは、やはり残酷に過ぎると書いている自分でも思います。人間関係もありますし、怪しいものを楽しむ姿勢は忘れたくない。さらに信仰を強制的に排除することは別の問題を生み出すことになる……などと難しいことが山積みだからです。

 

まとめ

 そんなわけで、怪談界隈の盛り上がりは嬉しかったものの、個人的にはそろそろ派手に爆発して終わるかも……と危惧しているという話でした。スピリチュアルと都市伝説の弊害が最新の社会問題であることは今年になってはっきりしてきたことだと思うので、それは今年のまとめとして次回に語ろうと思います。

見よう! 映画『札束と温泉』

 またも久方ぶりの更新になってしまいました。今年の前半も終わろうとしていますが、自分は公開できない小説をひたすら書き、釣り(詐欺等ではないほう)をし続けるという健康な生活をしていました。マスに加えてバスをやると釣行が増えますね。

 さて、今回は映画の感想となります。というのも昔からの作家仲間がなんと監督をされたということで、試写会に行ってきたのです。監督:川上亮 映画タイトル『札束と温泉』です!

satsutabato-onsen.com

その前に川上亮監督とは

 映画『人狼ゲーム』シリーズの原作・脚本担当であり、『人狼ゲーム/デスゲームの運営人』で監督デビューを果たしていた脚本家・映画監督です。ゲーム作家でもあり、マーダーミステリー作品多数、『キャット&チョコレート』シリーズ等を制作しておられます。作家としては川上亮名義だけでなく、秋口ぎぐる名義でも執筆されており、私とは富士見ミステリー文庫時代にご縁がありました。年配のライトノベル読みの方にだけよくわからん形でいまだに知られているレーベルで大半の人に通じないわけのわからん活動をしていたという共通点があり、ある種の戦友感を持っている関係です。

 

クラウドファンディングを買ったぞ

 川上さんは映画監督としてはすでにデビューしており、その作品『人狼ゲーム/デスゲームの運営人』も傑作であることは拝見していて、評判も上々であったことから意識してはいたのですが、そもそも「出演するとビッグになる」という噂のあった(初期の主演に桜庭ななみ、土屋太鳳さん等!)メジャー作品であり、自分はいちファンとして遠くから見ていよう、などと思っていたのです。

 

 

 ところがこの『札束と温泉』ではクラウドファンディングが行われるとのこと。しかも監督コメントとして「”いまさらかよ、と言われるかもしれませんが、初期のガイ・リッチー作品やタランティーノ作品、コーエン兄弟作品のような「入り組んだ物語」と「犯罪」と「ユーモア」の融合を目指しました。」と書いてある! ガイ・リッチーに“初期”と断りがあるのが最高でして、私のように過去の秋口ぎぐる作品を読んでいる者からすれば「完全に初期衝動を忘れていない作家の本気作やんけ!」と一発でわかる!

 即座にクラウドファンディング水城正太郎名で申し込み(クレジットされております。ありがてぇ)、それを御本人に補足された結果、川上さんと久しぶりに東京でお会いできることになったわけです。

 

クレジットはエグゼクティブ・プロデューサー

 お会いして楽しい会話(ロケ地である大分の話など)をしているうち、驚愕の事実が。なんと『札束と温泉』の製作・企画は御本人! 「本気度が違う……やりやがった……」と色めき立つ事態に。その時点から期待感がさらに膨らみはじめます。なにかものすごいことになっている予感がします。

 

試写会に行ってきた

 そして先日、試写会がありました。当然ネタバレなしの感想になるわけですが、贔屓抜きにしてもオススメです! まず長台詞が実に良い! ワンカット・スタイルの映画なので通常よりもセリフ間の間(ま)がとりにくいわけですが、ここを“ツッコミが早いコメディ”にすることで高速化、さらに掛け合いにすることでキャラクターの関係性まで出してくるという具合! 自然体ではありえないのに自然体であると思わせることにも成功しています。元は舞台劇をやるつもりで執筆されたそうなので、ワンカット・スタイルは実にハマった感があります。

 ストーリーは予告編を見ていただいてわかるように、登場人物全員が互いに知らぬ思惑を持って動いており、それが混乱をもたらすと同時に、視聴者に対しては謎解きの感覚を与えています。これはマーダーミステリー感覚ですね! マーダーミステリーファンにはかなりオススメできます。そういえばありますね『死体と温泉』! もちろん別ストーリーのはずですよ(マーダーミステリーの例に漏れず断言するとネタバレになるので)!

 

 

 映画的にはワンカットのためのワンカットにはなっていないところが良いですね。カメラ視点を意識させるためでなく、映画的なカットにするためのカメラ360度回転や、キメのアングルからキメのアングルへの計算された移動など見ていて快感が生まれる演出のため、映画にダレるところは一切ありません。

 役者さんも撮影カットが長いのにすごい演技を見せてくれます。キャラクター全員が焦っている設定も相まっての高速運動、高速セリフなのに違和感なし! 見切れる瞬間でも常になにかやっている! すでにファンを獲得されている役者さんも多数ですが、よりビッグになる方もこの作品から出られるのではないでしょうか。

まとめ

 とにかく見よう! という作品になっています。爽快感のあるストレートな娯楽作。川上亮監督御本人からは当然ながら不満足だった点はあると伺っていますが、それはご自身でこだわり尽力された作品であればこそ必ず生じる現象。いち観客としては完成度の高い作品と感じました。

 もちろん低予算ではあるのでCGや海外ロケなどはこの作品には欠けていますが、かえって日本映画ではそれらは求められていなかったりします。つまり日本式のコメディーとしてはこれがひとつの完成形ではないかと思わせてくれる『札束と温泉』、確実にオススメなので、劇場でご覧ください!

2022年振り返り

 またも久々の更新となってしまいました。例年のように本年の総括となっております。

 今年は公私共にいろいろあり壮絶にしてターニングポイントとなるような一年でした。公的にはもちろんロシアによるウクライナ侵攻があり、私的には『異界心理士の正気度と意見』コミカライズがありました。

 

ロシア哲学史を通読したよ

 ウクライナ侵攻でロシア哲学の変遷に興味がわき、『ロシア哲学史』を通読したことは面白い経験になりました。大学の教科書としても使われる本であり、共産主義革命の際に亡命した哲学者たちの哲学を国家哲学として再定義しようとしています。ですが、ある種の悲壮感さえあるこの行為に後ろめたさを感じている様子は本書からは微塵も感じられず、ルーシの精神性の高さを謳い上げるような記述が随所に見られ、すぐにでも世界哲学に肩を並べるロシアという自己陶酔的な序文からもうかがえる民族的コンプレックスの発露は拭い難い欠点となって本書を覆っています。しかもそのコンプレックスは西欧哲学にのみ向けられたものであり、なんとかしてそれを乗り越えようとするあまり、西欧哲学が切り捨てた要素を再度採用してしまう結果となっています。ロシア正教を正当化するために思想を捻じ曲げることも随所に見られ、思考の論理性と民族性が違うならば民族性を採用する傾向もあります。さらに東洋の神秘主義への無理解からくる神秘主義への耐性の低さはいかんともし難いレベルで表出しており、ソボールノスチなる精神的全体主義を頑なに守ろうとする様は哀しく感じられるほどです。これらが現在話題になっている新ユーラシア主義につながるわけですが、これらの欠点をロシア研究を専門にしてきた人々が無視していることが私にはより衝撃でした。

 

人文関係者の党派性は今後問題となるかも

 私の『ロシア哲学史』感想を「今の日本人ならこういう見方になるかもしれない」という言葉でさらりと躱した研究者もいたくらいで、私の意見(さらには認めた通り日本人一般が受け取るであろう印象)が戦時における偏見であるなら、正しいロシア哲学の現状を説明すれば良いはずなのですが、そうした記述はありませんでした。その他のロシア関係の研究者にも積極的に現在のロシア哲学を説明している様子はありません。確かに一般人にロシアを叩く傾向が生まれているかもしれませんし、ウクライナ国内でのロシア文化キャンセルなども行き過ぎると問題でしょうが、それに対する反対を表明するだけという不誠実さは単なる保身によるものを越えて党派性にのみ身を委ねていると言わざるを得ません。反ロシア傾向が日本の右翼傾向者にのみ見られるという思い込みから「ロシア人の大半に罪はない」とか「ロシア文化は簡単に説明するには複雑すぎる」という発信のみ繰り返すのは、その発信者当人がよく嫌っている「一部を見て全体を断じる人」に自身がなっていることにまったく気づいていないことにほかなりません。

 今問題になっている親ロシアの頭のおかしいレベルにまで行ってしまっている陰謀論者たちを学識者たちが切り捨てる義務はありませんが、研究者が説明すべきことはしておかないと外部からは「単に党派性でのみ発言している人」とみなされることになってしまうでしょう。日本人全体がロシア叩きをしていない一方、戦争に賛成しているロシア人とて多い、と考えて発言できなければスタートラインにすら立っていないことになるのです。

 

未熟で貧困な世界観との戦い

 関連して、昨年までは言葉を濁し、戦いを直視しないで済めば良いと願っていたようなことが今年は前面に出てきたように感じられます。Qアノン系とくくられる反ワクチンを代表とする陰謀論者、疑似科学医療詐欺加担者などは言うに及ばず、それらと親和性の高い人々は親ロシア言説者としても浮上してきました。Twitterで何故かロシアのプロパガンダを自発的に広めている者が暴れています(どうも職業的では、つまりスパイではないらしい)。さらにこの文章でも書いている人文系の人々の偏向、細かいところではフェミニズムNPOの不正会計への監査に見られるような思想運動家の異常性や、インフルエンサーが陰で脅迫を行っていたことを出版社が無視していたことなど、未熟で貧困な世界観を持つ者が社会への害悪をなしていることが浮上してきました。去年はそれと戦う者もパージされてしまう傾向があったわけですが、それらが前景化されてきたことにより、より戦いは直接的で激しくなってしまうことになるでしょう。

 

結局は情報を増していくしかない

 となれば、相変わらず問題となるのは「なぜ我々はそれを異常だと感じることができるのか?」です。この問いは、彼らにも彼らなりの理があることを肯定するためのものではありません。彼らを異常だと感じられるのは何故か? というそのままの問いです。以前にも書いたように、そのためには情報を収集し続け、自分が背負っている“物語”を更新し続けるしかないというのが結論になります。「ロマンチックな狂気など実在しない」という精神科医の言葉にもある通り、異常だと感じる行動は、正常な行動よりも類型的です。つまり、以前に出会ったおかしい行動の人や歴史上存在した暴走する独裁者などを見れば、現在直面しているおかしな人々について「類型的な間違いをおかしている」と感じられるというわけです。

 

争いは続いていく

 来年はそういう意味で争いの絶えない年となるかもしれません。暗い予測ではありますが、自分がおかしくなっているとき「類型的なあの異常者と同じ考えになっているぞ!」と自覚できるようにありたいものです。党派性を背負ってしまうことも、愛国心アイデンティティにしてしまうことも、いまさら極左的な純潔性を希求してしまうことも、かつてあった類型的で未来のない行為にすぎないのですから。

 

個人的には

 最後に個人的なことに触れておけば、『異界心理士の正気度と意見』コミカライズは喜ばしいことでした。できるだけ多くの人に読んでいただきたいものです。こちらも新作を頑張りたいと思っていますので、商業化へのハードルも高い昨今、多くの支持を来年もいただきたいと思っています。それではよいお年を。

ある意味オススメできないボードゲーム版『エルリック』

 実に久々のボードゲームプレイ記録です。不特定多数によるコンベンションでなく、完全な個人として集合してのプレイとなっております。早いところこの状況が収まって欲しいものです。

日本語版は天野喜孝先生の美麗パッケージ

 

 個人が持ってきたゲームってことで、珍しい作品『エルリック』をプレイ! 『エルリック・サーガ』のゲーム化で、なんと作られたのは1977年らしいです。日本語版は1985年。いずれにせよびっくりするぐらい昔のゲームです。当然ながらゲームシステムは褒められたものじゃない。後述しますが、総論「原作ファンなら買いか」(昔のファミ通レビューのキャラゲー定型句)ということになります。

 古さが明確な欠点となって現れているのは、いわゆるマルチゲームとウォーシミュレーションの中間を取ろうとしてしまうゲーム黎明期特有の問題です。「戦争を再現するには細分化したユニットを細かいマップ上で動かして戦闘力を比べてダイスを振るべし!」なる不文律があったわけです。『エルリック』ではマップを見てもらえれば分かる通り美麗ではあるもののエリアの区分が細かくなっています。この広大な地をなんとキャラクターや軍隊は一ターン四マスという移動力(さらに移動力は様々な障害でも消費される)で動かなくてはならないのです!これで何をどうしろと……。

美麗なマップ。小説を読む際の補助に最適。

 

 最終目的はメルニボネを陥落し最終ターンまで支配すること。最終ターンまでにメルニボネに移動できるかどうかは運の要素が強く、しかも当然ながらメルニボネの軍隊は強力。戦闘はウォーシミュレーション特有の「損害を受けて撤退はするものの全滅はしない」結果の存在により複数ターンに渡ることも多々あります。プレイヤー同士は同盟がルール化されてはいないので、必然、ルール外の談合でどうにかしないとプレイヤー同士の泥沼化した戦争(しかも足を引っ張るだけの!)をするだけで十ターンはあっという間に過ぎ去っていきます。

 可能性を感じさせるもののうまくいかなかったルールに「魔法」があります。魔法はユニット化されており、このユニットを布袋からランダムで引くことが特徴となっているのですが、盤上のシミュレーション以外のすべてのシステムを魔法に背負わせてしまうという冒険的な試みがなされています。なにしろ「全体のコンフリクトレベル(法と混沌への傾き)調整」「ランダムに襲ってくるモンスター」「移動補助」「召喚」「エルリックのランダム行動」等のすべてを無理やり魔法ユニットに詰め込んでいるのです。それランダムでいいのか? というものまですべて! 結果として、魔法の引きがすべての運ゲーが展開されます。

一国家のキャラクターはこんなもん。戦力は最高でエルリックの6。

 

 なにしろプレイヤーは一国家のみからのスタートで、メルニボネ陥落にはとても戦力が足りない。そこで最初はユニットが存在しないNPC国家を「召喚」しなければならないのです。召喚は魔法使いが最初にランダムで持っている魔法か、荒れ地に配置されている野良魔法を探索で拾わなくてはなりません。召喚は魔法に土地名や個人名が書いてあるので、その該当首都まで行って召喚、というプロセスです。しかし、荒れ地ではランダムに魔法が襲ってきますし、魔法を探索で拾えるかはなぜかダイスで二分の一を成功しなくてはなりません。当然、スタート時から隣接していた魔法を五ターンくらいまで拾えないなんてこともそれなりにあります。魔法を拾えないとゲームに参加できていないことと同義なので、ダイス目ひとつでものすごい虚無が体験できます。しかも引いた魔法で召喚できる土地が対角線の反対だった場合、最終ターンでの召喚が確定するという虚無もあり得ます。今では考えられないゲームデザイン

 逆に「テレポート」「記憶の鏡(陸軍・海軍喰らい)」という二種の魔法が揃えば、魔法使い単騎であっという間に当該の地を滅ぼすという極端なことも可能です。それぞれ好きな土地に移動と軍隊を壊滅させるという魔法で、一枚ずつしか入っていませんが……。

 しかしながら「原作ファンなら買いか」というのも嘘ではなく、「いたねぇ、こんなキャラ」という人物がユニット化されており、マップ上に展開します。すべてイラスト化するのは大変な作業だっただろうに……。であれば、「○○と○○が戦争!」とか「○○がエルリックの悪夢により惨殺!」とか、ランダム要素を原作を読み込んでいる人特有の妄想力で楽しむことができます。

乞食国家の皆様。ホントにそういう設定なのだ……。

 

 そんなわけで新しいコミックも翻訳されていることだし(続刊出ないね)、原作の熱心なファンなら眺めるだけで満足できる(ある意味プレイしてはいけない)本作、オークションでしか手に入りませんが、一見の価値はあります。アートワークはそのままにリメイクされないもんでしょうか。

中途ターン。ここで伏せてある魔法が拾えないとエルリックがいても戦力が足りん。

『異界心理士の正気度と意見―いかにして邪神を遠ざけ敬うべきか―』単行本本日発売!

文ノ梛先生による当日イラスト!

『異界心理士の正気度と意見―いかにして邪神を遠ざけ敬うべきか―』一巻、本日発売となりました! 森瀬繚先生による豪華神話解説、作品解説、新規イラスト、私の新作短編、TRPGにも役立つ異界となった鎌倉ハザードマップは単行本だけ! ご購入のほどよろしくお願いいたします!

 

 

『異界心理士の正気度と意見―いかにして邪神を遠ざけ敬うべきか―』コミカライズ連載開始

先だっての予告通り『異界心理士の正気度と意見―いかにして邪神を遠ざけ敬うべきか―』コミカライズが連載開始となりました。

大船観音をバックに大船駅コンコースに立つ純ちゃん!

firecross.jp

特設ページも御覧ください!

firecross.jp

本格和製クトゥルフ神話譚となっております。是非!

単行本も8月1日発売! 書影出ております! この夏は『異界心理士』で盛り上がれ!

 

 

『異界心理士の正気度と意見―いかにして邪神を遠ざけ敬うべきか―』コミカライズ

『異界心理士の正気度と意見―いかにして邪神を遠ざけ敬うべきか―』コミカライズががコミックファイア様にて7月15日より連載されます!

描くのは『旅とごはんと終末世界』の文ノ梛先生!

江ノ島クトゥルフが上陸した日本で狂気汚染に挑む人々は……」というクトゥルフ神話に連なるストーリー!

予告編を作りましたのでご覧ください。

 

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文ノ梛先生のファンはホラー愛好家でもある先生の新境地を、クトゥルフ神話ファンは久方ぶりの日本でのストレートな神話作品を、本ブログの読者は私の原作がどう解釈されたかをお楽しみください!

 

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