2022年振り返り

 またも久々の更新となってしまいました。例年のように本年の総括となっております。

 今年は公私共にいろいろあり壮絶にしてターニングポイントとなるような一年でした。公的にはもちろんロシアによるウクライナ侵攻があり、私的には『異界心理士の正気度と意見』コミカライズがありました。

 

ロシア哲学史を通読したよ

 ウクライナ侵攻でロシア哲学の変遷に興味がわき、『ロシア哲学史』を通読したことは面白い経験になりました。大学の教科書としても使われる本であり、共産主義革命の際に亡命した哲学者たちの哲学を国家哲学として再定義しようとしています。ですが、ある種の悲壮感さえあるこの行為に後ろめたさを感じている様子は本書からは微塵も感じられず、ルーシの精神性の高さを謳い上げるような記述が随所に見られ、すぐにでも世界哲学に肩を並べるロシアという自己陶酔的な序文からもうかがえる民族的コンプレックスの発露は拭い難い欠点となって本書を覆っています。しかもそのコンプレックスは西欧哲学にのみ向けられたものであり、なんとかしてそれを乗り越えようとするあまり、西欧哲学が切り捨てた要素を再度採用してしまう結果となっています。ロシア正教を正当化するために思想を捻じ曲げることも随所に見られ、思考の論理性と民族性が違うならば民族性を採用する傾向もあります。さらに東洋の神秘主義への無理解からくる神秘主義への耐性の低さはいかんともし難いレベルで表出しており、ソボールノスチなる精神的全体主義を頑なに守ろうとする様は哀しく感じられるほどです。これらが現在話題になっている新ユーラシア主義につながるわけですが、これらの欠点をロシア研究を専門にしてきた人々が無視していることが私にはより衝撃でした。

 

人文関係者の党派性は今後問題となるかも

 私の『ロシア哲学史』感想を「今の日本人ならこういう見方になるかもしれない」という言葉でさらりと躱した研究者もいたくらいで、私の意見(さらには認めた通り日本人一般が受け取るであろう印象)が戦時における偏見であるなら、正しいロシア哲学の現状を説明すれば良いはずなのですが、そうした記述はありませんでした。その他のロシア関係の研究者にも積極的に現在のロシア哲学を説明している様子はありません。確かに一般人にロシアを叩く傾向が生まれているかもしれませんし、ウクライナ国内でのロシア文化キャンセルなども行き過ぎると問題でしょうが、それに対する反対を表明するだけという不誠実さは単なる保身によるものを越えて党派性にのみ身を委ねていると言わざるを得ません。反ロシア傾向が日本の右翼傾向者にのみ見られるという思い込みから「ロシア人の大半に罪はない」とか「ロシア文化は簡単に説明するには複雑すぎる」という発信のみ繰り返すのは、その発信者当人がよく嫌っている「一部を見て全体を断じる人」に自身がなっていることにまったく気づいていないことにほかなりません。

 今問題になっている親ロシアの頭のおかしいレベルにまで行ってしまっている陰謀論者たちを学識者たちが切り捨てる義務はありませんが、研究者が説明すべきことはしておかないと外部からは「単に党派性でのみ発言している人」とみなされることになってしまうでしょう。日本人全体がロシア叩きをしていない一方、戦争に賛成しているロシア人とて多い、と考えて発言できなければスタートラインにすら立っていないことになるのです。

 

未熟で貧困な世界観との戦い

 関連して、昨年までは言葉を濁し、戦いを直視しないで済めば良いと願っていたようなことが今年は前面に出てきたように感じられます。Qアノン系とくくられる反ワクチンを代表とする陰謀論者、疑似科学医療詐欺加担者などは言うに及ばず、それらと親和性の高い人々は親ロシア言説者としても浮上してきました。Twitterで何故かロシアのプロパガンダを自発的に広めている者が暴れています(どうも職業的では、つまりスパイではないらしい)。さらにこの文章でも書いている人文系の人々の偏向、細かいところではフェミニズムNPOの不正会計への監査に見られるような思想運動家の異常性や、インフルエンサーが陰で脅迫を行っていたことを出版社が無視していたことなど、未熟で貧困な世界観を持つ者が社会への害悪をなしていることが浮上してきました。去年はそれと戦う者もパージされてしまう傾向があったわけですが、それらが前景化されてきたことにより、より戦いは直接的で激しくなってしまうことになるでしょう。

 

結局は情報を増していくしかない

 となれば、相変わらず問題となるのは「なぜ我々はそれを異常だと感じることができるのか?」です。この問いは、彼らにも彼らなりの理があることを肯定するためのものではありません。彼らを異常だと感じられるのは何故か? というそのままの問いです。以前にも書いたように、そのためには情報を収集し続け、自分が背負っている“物語”を更新し続けるしかないというのが結論になります。「ロマンチックな狂気など実在しない」という精神科医の言葉にもある通り、異常だと感じる行動は、正常な行動よりも類型的です。つまり、以前に出会ったおかしい行動の人や歴史上存在した暴走する独裁者などを見れば、現在直面しているおかしな人々について「類型的な間違いをおかしている」と感じられるというわけです。

 

争いは続いていく

 来年はそういう意味で争いの絶えない年となるかもしれません。暗い予測ではありますが、自分がおかしくなっているとき「類型的なあの異常者と同じ考えになっているぞ!」と自覚できるようにありたいものです。党派性を背負ってしまうことも、愛国心アイデンティティにしてしまうことも、いまさら極左的な純潔性を希求してしまうことも、かつてあった類型的で未来のない行為にすぎないのですから。

 

個人的には

 最後に個人的なことに触れておけば、『異界心理士の正気度と意見』コミカライズは喜ばしいことでした。できるだけ多くの人に読んでいただきたいものです。こちらも新作を頑張りたいと思っていますので、商業化へのハードルも高い昨今、多くの支持を来年もいただきたいと思っています。それではよいお年を。