陰謀論に陥らないために

はじめに

 陰謀論の記事を書いていて思ったのは、やはり陰謀論者への嘲笑が多いということでした。必要なのは誰かが陰謀論に陥ってしまう前に踏みとどまる手助けをすることであり、自身も陰謀論に染まらないように生活するということです。「自分は絶対に陰謀論に染まらない」などという慢心には特に注意すべきでしょう。

 しかし、厄介なのは「陰謀論とは何か?」が定義しにくいことです。どうやらマルチ商法情報商材商法、カルト、スピリチュアルなどにハマりやすい人が陰謀論にも染まってしまう、という傾向はあるようで、陰謀論そのものもそれらと同様の傾向を持ちやすいことがわかっています。

 「陰謀論とは何か?」を解説してしまうと膨大なテキストが必要ですので、それは別の機会か様々な方の記事に頼るとして、ここでは「陰謀論とは思考法そのものである」という仮説を立てて検証していこうと思います。

 

思考とは何かを定義しておく

 思考とは、科学の基礎となる論理的思考に代表される通り、物事を体系化、無矛盾化して整理するような脳の働き、とここでは定義しておきます。これにより、思考は“悩むこと”や“願望”と分離されます。

 皆さんの中にはこの定義と同様に思考というものをとらえている方も多いことでしょう。それは「きちんと思考できれば陰謀論にはハマらない」と考えている人が多いことからもわかります。

 

実は生活において思考はする必要がない

 その上で、物事を体系化、無矛盾化することは、生活において必要ないこともまたわかります。仕事において強制的に思考させられることはあるものの、生活というレベルであれば、誰かが思考してくれていることに乗っかっていれば、つまりは社会を信頼していればやっていけます。電車のダイヤは誰かが考えていますし、映像作品も思考の賜物ですが享受する分には視聴者が考える必要はありません。

 

考えないことに罪悪感を持ったら危ない

 考えないことは悪ではないか? そう思わされることから陰謀論はスタートするのでしょう。陰謀論にハマる人々の常套句は「目覚めた・圧倒的成長があった」や「世界の仕組みについて勉強した」などです。実は思考している状態を“良いこと”や“人間として優れている状態”と思っていることになります。

 「世の中には優れている人がおり、その人達は思考して世界を把握している」という世界観に触れること、そしてそれを信じることこそが陰謀論の根幹なのではないでしょうか。そして、それは「自分は陰謀論にハマらない」と信じている人にとっても共通の世界観ではあるわけです。

 

体系化、無矛盾化するとは

 ではここで定義した“思考”を方法論として分解してみましょう。体系化とは主に類似したものの共通点を見出し、それを元に一括で処理したり、並べて解決したりすることです。着ている服を靴下やシャツなどに分類して整理するか、「その日に着るもの」として一括整理するか、などは思考したと言えるでしょう。

 そして無矛盾化とは、原因と結果が結びついている状態のことです。「ヤカンに水を入れて火にかけたら沸騰した」、という程度のことでも原因と結果はあります。「食べ過ぎたから太った。故にカロリーコントロールしなければならない」あたりまで来ると思考したと言えるでしょう。

 

思考の楽しみ

 思考することは、誰でも“仕事”では行っています。仕事の面白さは思考したことが実現することである、と言っても間違いだと思う人はそれほどいないのではないでしょうか? 思考し、実験し、正しかったかどうかの結果が返ってくる。そこに快楽があることは実感している人も多いはずです。

 思考が快楽であること。詳しくは思考し、実験し、正しかったかどうかの結果を確認することが楽しい、というのは重要です。陰謀論がもし思考することそのものであれば、それは楽しいからこそハマるものとなるからです。

 

魔術的思考とは

 しかし、陰謀論者はしばしば思慮が足りないように見えます。思考しているのだとすれば、何を思考しているのでしょうか? そこで参考になるのは、やはり歴史です。陰謀論と科学、哲学が一緒くたになっていた時代の思考は、しばしば魔術的思考と呼ばれる思考法を取っていました。

 「藁人形に憎い相手の髪の毛を入れて釘で打つ行為」は、「髪の毛によって敵対者と関連性を持った“人間に似た形状のもの”を傷つけることにより、敵対者に該当の傷を負わせる」という思考により成立するものです。これは、類似していることを見出すという面において“思考している”のです。

 陰謀論に多く見られる「日付の一致を見出す」ことや「語呂合わせを頻繁に行う」などは魔術的思考なのです。

 

思考が常態化していく

 もちろん魔術的思考の限界はすぐにわかります。科学的でないことを排除すれば良いだけです。陰謀論の厄介な点は、「何者かがメッセージを伝えるためにわざとそうしている」という考え方をしてしまうことにあります。そしてそれも思考している状態ではあるのです。

 さらに陰謀論では回答が頻繁に与えられます。往々にして思考したことに結果を提示してくれる人がいますし、自分で調べても答えらしきものは見いだせる。マルチ商法やサロンなどは、むしろ会員に思考することを常態化するように動いている。陰謀論者たちは思考していないのでなく、全力で思考する快楽を追い続けていると考えられます。

 

非日常的な思考は常態化しやすい

 これはカルト、ネット上での政治運動やある種のフェミニストの言動にも当てはまるように思います。彼らは何を見ても“思考”してしまう。思考できるターゲットを探し、その答え合わせを頻繁に行うようになってしまう。そしてどんな場合でも同じ回答を確認するようになってしまう。

 いずれも思考することと快楽が結びつき、同じ思考を繰り返そうとする心の動きに逆らえなくなっている状態にあるように見えます。これは一見するとまともに見えるMMT論者や哲学者、批評家にも共通しているようです。

 

目覚めた状態とは思考法が固着した状態

 陰謀論者が言う“目覚め”とは思考法が固着した状態を指す、とここでは言い切ってしまいましょう。

  • 自分が“解決”できる問題を常に探してしまう
  • 自分が納得するためだけに思考を展開してしまう
  • “問題がある人”を探して論破・揶揄しに行ってしまう
  • 何についても原因が同じであると考えてしまう

 などがあれば、あなたは“目覚めて”しまっているに違いありません。

 

固着した状態から脱するために

 ならば固着した状態から脱するためにどうしたらいいのでしょう? そのためには、複数の思考法を持ち、それに快楽を見出す以外ないのではないでしょうか? 二重思考、とは通常良くない意味に使われますが、それとは違う意味で、二重に思考する必要があると思います。

 複数の思考法があることを知り、それを日常に侵食させないこと。生活者的思考、仕事としての思考を持ち、それとは別の魔術的思考、哲学的、思考実験的な思考は“思考趣味”として楽しむこと。趣味における上達や達成に思考を使用することで、思考の快楽を消費する。それらが解決策として考えられるでしょう。

 

とはいえ陰謀論は面白くはある

 とはいえ、個人的には陰謀論、魔術、オカルトはまだ私の趣味のひとつではあります。これらについて知ることで“思考”がしやすくなることもあるでしょうから、気が向きましたら陰謀論の解説などしたいと思います。

 

現在展開中の小説です。陰謀論もかなり関わってきますので、よろしく。

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