叶えられた陰謀論

 米国の状況のせいで陰謀論もにわかに注目を集めるようになってきました。しかし、流布している噂や陰謀論者の主張を頭ごなしに嘘と決めつける論調も多く、それが社会の分断を招くことにもなっています。陰謀論で難しいのは事実とデマを見分けることです。それを知るために、後の報道によって事実の確度が高いとされた事件を見ていきましょう。言うなれば、それは「叶えられた陰謀論」。すなわち、噂レベルだったものが後に事実だったと判明した事件や、陰謀論に典型的な性質を持っているのに事実だった事件などです。

 

北朝鮮による拉致

 若い人たちには意外かもしれませんが、七十年代から八十年代初頭、北朝鮮による拉致は都市伝説として語られることの方が多かったのです。サーカスや見世物小屋の人さらいと同じカテゴリーに入っていたと言っても若い人にはさらにわからないでしょうが、政府が調査、把握していなかったことや、ニュースで報道されなかったことで、拉致の情報が口コミを主として広まったため、真実とそれによく似たデマが判別できない状態になっていたのです。

 今では当時に広まった嘘のような話が事実だったことがわかっています。「日本海の海岸に独りでいると海から上がってきた男たちにさらわれる」や「夜に日本海側を歩いているときは金槌で石を叩く音に注意しろ。それは拉致対象の人数を伝える手段だ。林の中に逃げ込めば相手は追ってこれない」などの噂がありました。

 さらに一部政治家やメディアが拉致を確信できるまではそれを肯定しなかったことも九十年代後半まで拉致事件が都市伝説扱いだったことに拍車をかけました。後述するミトロヒン文書とも関わってくる問題です。

 

金大中事件

 1973年の事件です。当時の独裁政権であった朴正煕政権に対抗する民主化運動の活動家であった金大中諜報機関であるKCIAにより日本国内で拉致されたもので、暗殺未遂事件であったことが後にわかっています。

 事件そのものはすぐに国内でも報道されたので都市伝説ではありませんが、特筆すべきは事件の詳細がいまだに正式な文書としては公開されていないことでしょう。これは事件直後から日本と韓国の間で政治決着が図られたためで、この幕引きのために裏金が流れたという証言も含め、まさしく陰謀そのものであったと言えるでしょう。

 登場人物もKCIAをはじめ、一般には秘密とされる自衛隊諜報機関、日本の暴力団、さらには意外な出版社の社長まで出てくるワクワクするものです。本当にあった陰謀としては出色の事件だと思います。

 

ミトロヒン文書

 これは1992年にミトロヒンによって持ち出された旧ソビエトの工作活動を記した文書です。量が膨大であったため2000年代初頭にかけて公表されました。

 注目すべきは日本の主要新聞社のすべてにソ連諜報機関KGBに協力する者がいたことです。文書公開以前にレフチェンコというKGB職員が亡命、日本国内での活動について証言したこととも一致しているため、事実と考えて良いでしょう。もちろん政治家にも工作は行われており、ソ連に友好的な反応を引き出そうとしています。

 この一連の事実は「政治家やマスコミに他国から工作を受けている者がいる」ことを示しています。北朝鮮による拉致事件を否定していた政治家が存在したことも裏付けにはなるでしょう。現在でも北朝鮮や韓国、中国からの工作は噂され、様々な新聞社や政治家が疑われています。

 

バチカン銀行

 ヨハネ・パウロ一世の暗殺と、それに伴う一連の疑惑です。ローマ教皇庁資金管理団体の通称をバチカン銀行と言い、イタリアの銀行やマフィア、さらには極右秘密結社との癒着が噂されていました。ヨハネ・パウロ一世は、就任後まもなく資金流れの透明化に着手しますが、その改革着手直後に暗殺されてしまいます。

 マフィアと癒着した大司教、秘密結社と関係のある銀行家などが主犯とされましたが、マルチンスク大司教は国外逃亡、ロベルト・カルヴィは暗殺と不透明な決着に終わります。秘密結社『ロッジP2』はフリーメイソン系の出自でありながら政治結社化し、フリーメイソンからは破門されていますが、その後も武器輸出や各種テロに関わり続け、イタリア当局より摘発され大スキャンダルとなるものの、逮捕されなかったメンバーたちは何事もなく活動を続けました。代表的な人物にはイタリア首相にまでなったベルルスコーニがいます。

 

なぜこれらを事実とするのか

 陰謀論は情報源が定かでなく、推論と事実が混ざっていることが特徴です。主要メディアで報じられないというのも大きなポイントでしょう。ミトロヒン文書のように主要メディアへの不信がつのるような事実もありますが、メディアすべてを支配することが不可能と考えられる以上、主要メディアへの全面的な不信は持たない方が良いはずです。

 ここであげた事件を事実としているのは、情報の出どころが一箇所でないこと、また複数の筋から集めた情報が同じ事象を指し示すことからです。ひとつの事件内でも、明確な事実と推論が分離している、というのも事実だと信じるに足る証拠と考えます。もちろん事件後すぐに報じられたというわけではありませんが、多数メディアで報じられ、書籍も複数が出版されています。

 

これらによりわかること

 これら事実になった陰謀よりわかることは、陰謀論を否定する人にとっては「荒唐無稽に感じられってもある程度は事実になる陰謀もある」ことですが、何より大事なのは現在、陰謀論を信じてしまっている人、あるいは『Qアノン』のことを信じていたが裏切られてしまった人に向けての教訓でしょう。それは「たとえあなたの信じている陰謀が本当だったとしても、社会は別にひっくり返ったりしない」ということです。

 北朝鮮の拉致が真実だったと明かされたことにより、拉致被害者のご家族への支援は広く行われるようになりましたが、拉致を否定してきた政治家やメディアはそれを反省することはありませんでした。ソ連の工作を受けた記者や政治家についても同様です。金大中事件やロッジP2事件はまさしく陰謀そのものという件でありながら、その影響は期待よりは大規模なものではありませんでした。

 つまり、信じている陰謀論が本当だったとしても、誰も反省しないし、世界のパラダイムが変化することもない、ましてやそれを唱えている人の生活には少しも影響することはない、ということなのです。

 これは正義感に駆られる一市民である我々には大変につらいことであるかもしれません。しかし、世界がひっくり返ったりはしないからこそ暮らしていけるという側面は確実にあります。陰謀を信じて裏切られたとき、帰るべき生活があるのはありがたいことでしょう。だからこそ陰謀について考えるときと生活のときで思考を切り分け、それが互いに侵食することのないようにしていくべきではないでしょうか。

 他にも事実だった陰謀や、確証のない陰謀論はいくつもあります。MKウルトラ、スノーデン文書、エプスタイン逮捕、中国製携帯電話によるハッキング……いずれもある一面では事実であり、ある一面ではデタラメ、あるいは推論にすぎないでしょう。情報を集めつつ、半信半疑で楽しむ。国際的な諜報運動に巻き込まれていない一般人としては、そのような態度で噂話を楽しむ態度が求められているのかもしれません。