毎年、オカルトや陰謀論、出版業界の観測から感じた個人的感想を総括しているのですが、今年は陰謀論系の定着化が進行してしまい、なんとも苦々しい思いを抱く年となってしまいました。
それはそれで危険な状態ではあるのですが、逆に一般的は判断力や認知を有している人々がそれから離れたということでもあります。そこから「飽き」というキーワードを感じたのが今年全体を振り返っての個人的な意見となるでしょうか。
陰謀論の定着
今年は陰謀論の政治化が目立った年となりました。公的にもネット上にロシアのプロパガンダが存在していることが認められました。ロシアから直接に指令を受けているアカウント以外では、陰謀論やスピリチュアルに親和性が高い一般アカウントが「真実である」と信じ込んで拡散していることが観測されています。地球平面説や永久機関などの支持者がロシアの勝利を信じているというのも脈絡がないのですが、西欧的価値観への反発という点である意味一貫はしており、そのことが根強い人気(?)になってしまっています。
その意味では相変わらず陰謀論は政治勢力になり得る危険な力を相変わらず持ち続けています。
浮動票の動向から
それでも、国内での陰謀論政党の活動を見てみれば、一時期盛んだったデモや街宣活動は目に見えて衰退しています。。高まっていた陰謀論政党への支持は急落し、ポピュリズム的手法の政党への支持率もあわせて低下していることが観測されます。代わって与党への支持率が上昇したので、これを陰謀論のコモディティ化と絶望的に捉える人もいるでしょうが、一般的には浮動票が与党に戻ったと考えられ、すなわち「この政党おかしすぎない?」と気付いた人が多数いるということになるのでしょう。中にはきっちり陰謀論を脱却した人もいると考えると、この浮動票の動きこそが陰謀論脱却のヒントになるような気がしています。
「飽きる」という感覚なのでは?
よく「目覚める」という言い方を陰謀論者は自称します。この常識に反することを信じてこれまでの自分を一新する感覚こそが陰謀論の根幹にある快楽なのはよく知られるところです。
そしてこれまで陰謀論から脱した(脱スピみたいなのが有名ですね)と自称する人はそれなりの数いるわけですが、このタイプの人はその後の活動を観測する限り、脱却が「さらなる目覚め」でしかないケースが散見されます。他の極論にハマっているだけで、自分を一新する感覚を繰り返し求めてしまっているわけです。
そこから考えれば、真の脱却は陰謀論政党の支持者たちが離れたように、「なんか飽きちゃったので」とか「あれは一時のブームだったから」という感覚の中にこそあるのではないでしょうか。
飽きてしまってなんとなく活動や発信をしなくなった人は、当然外からは目立ちませんので、総数の減少という枠でしか観測できないわけですが、アンケートからするとかなりの数になるわけです。
重大と思っていたことにも飽きていい
例えば趣味に命をかけていても、ある瞬間にふっとすべて無価値に思えたりすることがあります。コレクションがガラクタに見えたり、上達しても意味がないなと感じる時が必ずある。その瞬間がやってきたとき、普通の人は「ここまでやってきたのだから」とか「新鮮さを思い出そう」と考える。そうしなければなんとなくフェードアウトしてしまうことはわかりきっているからです。
どんな趣味でもそういう瞬間はあるというなら、それが政治活動や宗教、思想においても起こることは確実です。とすれば、飽きがきた際に自己教化さえしなければ、脱却することはとても簡単なはずです。
かつていかに重大だった事であろうとも、それが一時の流行であったと切り捨てる軽さには、決して軽薄ではない意味があるはずです。その思想を持った集団が間違っていると感じたなら、構成員たちが素晴らしい人に見えないときが来たなら、自分でも妙なことをしていると感じたなら、飽きてしまってもいい。
命よりも大事に思えていたし、実際に殉死した者すらいる信仰でさえ、飽きたらどうでもいいものである……ということを書くと反発を生むでしょうし、自分自身の中にも反発心が生まれてきますが、オカルトで言えば前世ブームの頃には、それを信じたから自殺した人もいるのです。それこそが軽々しい流行にも命をかけられる人間の精神の表れです。
となれば、飽きて活動を少なくしていくこと自体、それほど恥ずかしいことではないし、ましてなにかを裏切ったことにはならない。
気楽に飽きていきましょう。世の中のほとんどのことは流行です。たとえ多数の人が命を代償にしていたとしても、流行に過ぎないものはこれまでの多数あったのですから。
流行とそうでないことを見分ける
とはいえ、流行とそうでないことを見分ける力も大事になってきます。例えば排外主義もそれと真逆の反差別運動も流行ですが、差別や外国人の就業、文化摩擦などの問題は流行ではないということです。さらに言えば流行だからといってやはり害になるようなスピリチュアルや陰謀論、諸々の極端な主義、宗教運動などを軽視して良いということではありません。それらを見分けて、流行に流されず、飽きていてもやるしかない作業はやっていくしかない、というわけです。
これからも色々なことが流行っていくでしょうが、乗ったり離れたりうまくやっていけるといいですね。
小説についても「飽き」の波が……
ところで、私の本業である(ということにしたい)小説についても今年は世間に「飽き」の波が来たように思います。世間が小説自体に飽きたという意味でもあるのですが、大きくは「小説に人生の大切なことが書かれている」とか「作家が世間への発言権を持つ智者の代表である」というようなことが流行に過ぎなかったことが露呈したという感覚ですね。
大手の書店がインフルエンサーを呼んで楽しいを中心にしたタイプのイベントを行うようになっていますし、書評家や人文系の学者に拒否感を持つ人々が増えたことからも、小説は娯楽の機能を重視するような流れになっていることが感じられます。「本を集めて書棚を見せる」とか「積読」も過ぎ去った流行としみじみしてしまいますね。
書評家や人文系の学者への拒否感は、陰謀論にも関係することですので、またいずれウォッチしたことを書かねばならないでしょうが、ロシアのプロパガンダが陰謀論系の人々に親和性が高かったのと同様のことが、中国のプロパガンダと書評系の間にあるということが主たる原因と感じていることだけは記しておきます。そちらの系統の論説も陰謀論としての広がりを持ち、別の生態系を構築しているのは明らかです。
まとめれば、「小説が“知”の中心ではなくなった」とそれこそ書評家が言っています。ですが、元々が長期間にわたって不思議と「知の中心」だと思われていただけのことです。娯楽と言語効果の探求以外のことを小説に乗っける流行に世間がようやく飽きたということでしかありません。
とはいえ、そうなってくると小説は他ジャンルにアドバンテージが少ないわけで、これから小説にとっては寂しい時代になることも確か。これからというか、もう来年には小説の売上はかなり厳しいことになるでしょうね。
個人的には
個人としては、デビュー作『東京タブロイド』電子書籍化などありましたが、こちらのお買い上げの方をよろしくお願い申し上げます。陰謀論ウォッチの方にも二十五年前の資料としてお楽しみいただけると思います。
来年も電子書籍では動きがあるかもしれません。その際は重ねてよろしくお願い申し上げます!
来年は楽しい活動ができる年にしたいですねぇ。