実に久々のボードゲームプレイ記録です。不特定多数によるコンベンションでなく、完全な個人として集合してのプレイとなっております。早いところこの状況が収まって欲しいものです。
個人が持ってきたゲームってことで、珍しい作品『エルリック』をプレイ! 『エルリック・サーガ』のゲーム化で、なんと作られたのは1977年らしいです。日本語版は1985年。いずれにせよびっくりするぐらい昔のゲームです。当然ながらゲームシステムは褒められたものじゃない。後述しますが、総論「原作ファンなら買いか」(昔のファミ通レビューのキャラゲー定型句)ということになります。
古さが明確な欠点となって現れているのは、いわゆるマルチゲームとウォーシミュレーションの中間を取ろうとしてしまうゲーム黎明期特有の問題です。「戦争を再現するには細分化したユニットを細かいマップ上で動かして戦闘力を比べてダイスを振るべし!」なる不文律があったわけです。『エルリック』ではマップを見てもらえれば分かる通り美麗ではあるもののエリアの区分が細かくなっています。この広大な地をなんとキャラクターや軍隊は一ターン四マスという移動力(さらに移動力は様々な障害でも消費される)で動かなくてはならないのです!これで何をどうしろと……。
最終目的はメルニボネを陥落し最終ターンまで支配すること。最終ターンまでにメルニボネに移動できるかどうかは運の要素が強く、しかも当然ながらメルニボネの軍隊は強力。戦闘はウォーシミュレーション特有の「損害を受けて撤退はするものの全滅はしない」結果の存在により複数ターンに渡ることも多々あります。プレイヤー同士は同盟がルール化されてはいないので、必然、ルール外の談合でどうにかしないとプレイヤー同士の泥沼化した戦争(しかも足を引っ張るだけの!)をするだけで十ターンはあっという間に過ぎ去っていきます。
可能性を感じさせるもののうまくいかなかったルールに「魔法」があります。魔法はユニット化されており、このユニットを布袋からランダムで引くことが特徴となっているのですが、盤上のシミュレーション以外のすべてのシステムを魔法に背負わせてしまうという冒険的な試みがなされています。なにしろ「全体のコンフリクトレベル(法と混沌への傾き)調整」「ランダムに襲ってくるモンスター」「移動補助」「召喚」「エルリックのランダム行動」等のすべてを無理やり魔法ユニットに詰め込んでいるのです。それランダムでいいのか? というものまですべて! 結果として、魔法の引きがすべての運ゲーが展開されます。
なにしろプレイヤーは一国家のみからのスタートで、メルニボネ陥落にはとても戦力が足りない。そこで最初はユニットが存在しないNPC国家を「召喚」しなければならないのです。召喚は魔法使いが最初にランダムで持っている魔法か、荒れ地に配置されている野良魔法を探索で拾わなくてはなりません。召喚は魔法に土地名や個人名が書いてあるので、その該当首都まで行って召喚、というプロセスです。しかし、荒れ地ではランダムに魔法が襲ってきますし、魔法を探索で拾えるかはなぜかダイスで二分の一を成功しなくてはなりません。当然、スタート時から隣接していた魔法を五ターンくらいまで拾えないなんてこともそれなりにあります。魔法を拾えないとゲームに参加できていないことと同義なので、ダイス目ひとつでものすごい虚無が体験できます。しかも引いた魔法で召喚できる土地が対角線の反対だった場合、最終ターンでの召喚が確定するという虚無もあり得ます。今では考えられないゲームデザイン!
逆に「テレポート」「記憶の鏡(陸軍・海軍喰らい)」という二種の魔法が揃えば、魔法使い単騎であっという間に当該の地を滅ぼすという極端なことも可能です。それぞれ好きな土地に移動と軍隊を壊滅させるという魔法で、一枚ずつしか入っていませんが……。
しかしながら「原作ファンなら買いか」というのも嘘ではなく、「いたねぇ、こんなキャラ」という人物がユニット化されており、マップ上に展開します。すべてイラスト化するのは大変な作業だっただろうに……。であれば、「○○と○○が戦争!」とか「○○がエルリックの悪夢により惨殺!」とか、ランダム要素を原作を読み込んでいる人特有の妄想力で楽しむことができます。
そんなわけで新しいコミックも翻訳されていることだし(続刊出ないね)、原作の熱心なファンなら眺めるだけで満足できる(ある意味プレイしてはいけない)本作、オークションでしか手に入りませんが、一見の価値はあります。アートワークはそのままにリメイクされないもんでしょうか。