マイナージャンル小説が生き残るための試案

現在の小説業界の問題

 以前から小説の売り上げの問題は様々に議論されてきました。これはライトノベルやWEB小説に限らず、小説、あるいは出版会全体の問題と受け止められていますが、一文で示せば「小説が金にならない」。これに尽きると思います。

 この日記で書いてきた種々の問題も、売り上げの不足から派生したものに過ぎません。作家のSNSをどう扱うかや、ジャンル分類、コニュニティ維持等の問題も根本的には全コンテンツが売れていれば解決するものと考えられます。

 売れれば解決するというのは乱暴かと思われるでしょうが、過去の極端な例としては文学不良債権論争、というものがありました。要約すれば「純文学、文芸誌は単体で赤字であり漫画の利益で補填されている」という指摘があり、紛糾したのです。単体で売り上げが足りない小説は維持されるべきなのか? 継続すべきならばどうやって? という問題は昔から根深く、問題の中核にあったのです。

 それは文化的な後退が起こることに対する恐怖によるものでしょう。先に書いたバグ理論でも語ったように、人間の思考パターンのリストを保持し、その変化を追い続けないと、個人にとっては自らの精神構造が理解できないことになりますし、社会全体にとっては共同体を維持していくための理念が存在しないことになる、そういう恐怖です。そして、文化的な後退を招かないようにする努力は、売れないものは消滅してしまう資本主義とは非常に相性が悪いのです。

 これは本来は売り上げとは無関係に存在できるはずのWEB小説においても同様でした。小説が無数にあるため読むコストが高いことから、検索性が高い小説にのみ読者が集中するのです。さらには上位が書籍化、コミカライズされることで資本主義システムがより加速するという状況が生まれています。それを回避すべく編み出された個人ごとに嗜好を絞った検索のカスタマイズも、かえって先鋭化と分断を招いてしまうことも以前に書いた通りです。

 

作家が売っているのはコンテンツではない

 これらの問題について考えた結果、原点である「小説が金にならない」という問題の選定の仕方が間違っていることに気づきました。そして、それへの対抗策が既存の構造、あるいは資本主義的構造から外に出ることに集中していたことも間違いだったのではないでしょうか? 端的に言えば、作家は「売るものを間違っていた」のです。

 小説でなくIPを売るというのも別のものを売るという発想ではありますが、メディアミックスは新しい発想ではないですし、既存の構造の亜流であるばかりか、問題を大きくしているに過ぎません。そもそも作家は読書体験を売っているのであり、それを回収する手段がコンテンツビジネス、多くは書籍販売に偏っていたというだけのことなのです。

 そのビジネスが成り立たなくなってきたのは前述の通りです。読者からすればコンテンツは(見かけ上)無料になってしまいました。クオリティの劣ることのないものがWEBで無限に供給されているのですから、購入動機はイラストやロゴまで含むパッケージ、アイテムとしての書籍と、ページをめくる体験、あとは作家の応援というところでしょう。潜在的に顧客を失っているばかりか、パッケージングが難しい小説はそもそも金銭化できないということになってしまいました。

 

では作家が売るものは

 そこで提唱したいのは「作家が執筆活動全体をスポンサーに売る」ことです。これまでも純文学は作家の人生相談や日記などを売ってきましたが、それを拡張しようということではありません。ここで言っているのは、作家の活動とイメージ全体を売ること。つまりプロスポーツ選手のように年間の専属契約を年俸制で行ってみてはどうか、という提案です。

 雑誌等での作家の専属契約はこれまでもありましたが、主に排他的な目的で交わされる少額のものでした。ここで提唱する“プロ作家”とは、企業やチームに年俸で雇われ、その期間、雇用主のイメージを上げるために執筆活動を続ける、というものです。

 いわゆる編プロ、IPコンテンツ事業者との決定的な違いは、作家に求められることが小説や日記の内容やイメージであり、コンテンツ売り上げとは無関係であることです。もちろん出版、映像化などがあり有料コンテンツが出た場合、売り上げは作家でなく雇用主に渡されますが、それにより書籍化しないものの優秀なコンテンツを守ることができるわけです。この場合の“優秀”というのが雇用主の主観になるのは当然ですが、いわゆる“ジャンル”というのを守ることを目標に掲げるチームなら、雇用主が直接出版事業を行うよりも少額で特定ジャンルを守ることが可能でしょう。

 ユーザーによる定額制のスポンサード、あるいはオンラインサロンとも異なるのは、作家の活動をクローズドにする必要がないことです。これにより作家の暴走や、意見の先鋭化、そもそも詐欺等を防ぐことができます。

 作家にとっても固定の収入は作風を安定させてくれますし、現状でも出版作家にはSNS等でのクリーンな発言が出版部数を問わず厳しく求められ続けていますので、公表している活動全体を売ることに抵抗はないでしょう。

 

この契約方式の問題

 この案で問題になるのは、プロスポーツと同様、チームが集めるスポンサー料金で運営しなければならないため、文化事業であることを理解しているスポンサーが広告効果を認めて出資してくれることを期待するしかない、という点でしょう。小説の未来を憂う企業が増えてくれなければ実現そのものが不可能です。

 さらに小説サイトは企業の宣伝として小説を書くことを認めていません。これはマルチ商法流入を避けるための措置ですが、健全な企業の流入も拒んでいます。そもそも健全な企業とそうでない企業を見分けることは難しいのです。

 もちろんノンジャンルでチームを組んでしまうと高収入作家にのみ重圧がかかり作家感で互恵的な関係が築けないという旧来の業界情勢と変化がなくなってしまうというのも考えられることです。そこがあくまで雇用主の良心に委ねられるというのは最大の問題となるでしょう。

 

それでも提案する理由

 それでもこの案に利点はあると考えています。出版業界の規模縮小は仕方ないとしても小説やジャンルそのものの消失は望んでいない人が多いと信じていますし、小説の熱心なファンはこれからでも作り出せると確信しています。

 加えて作家の“プロ化”は、小説そのものに広告を投じるより、作家やジャンルに投資できるという点、年俸が他の手段による広告出稿よりも高額にはならないであろう点も利点になるかと思います。

 最後に、これは問題点にもなり得ますが、作家による思想、言論の表面化、チーム化により発生する小説論争、現状では左右両極に先鋭化している思想シーンの多様化、並びに少数意見のすくい上げも可能になるのではないでしょうか。

 

ただし試案にすぎない

 この案が既存の出版構造やWEB小説の現状を壊すことはありませんが、即座に実現という未来も中々難しくはあるでしょう。まだまだ私が考えついていない問題点もあることでしょうし、私自身がもし、私財を投じてチームを作れと言われたら躊躇する程度の覚悟で提案しています。まずは試案まで、というところでしょうか。

 しかし、今後、純文学やマイナージャンル、さらには電子化していく小説を守ることができる方法として書いてみました。