出版のために作家SNSのフォロワー数が必要、という話から

 最近話題になったトピックに「編集者が作家のSNSフォロワー数を条件に書籍化を決めている」というものがありました。「本を出したいなら一万フォロワーくらいいないと」というところです。

 この話への反応は「作家にも広報能力が必要になった」とか「広報は版元の仕事なので無理筋」とかいろいろありましたが、関連して諸々考えたことがあったので日記にしてみます。

 自分は、いわゆる“依頼原稿”と“事前公開原稿”の狭間にいる世代でしょう。依頼原稿は「編集者と打ち合わせて企画書を出し、その後執筆するもの」で事前公開原稿は「執筆し、小説サイトに掲載したものの出来に応じて編集者が企画書を書いて出版する」ものという理解でお願いします。

 往時、作家は「新人賞に応募し、受賞した場合、作家になる」という認識でした。最初は常に事前公開原稿で、その後、依頼原稿に移行する、というスタイルだったわけです。現状でこのスタイルが崩れているのは御存知の通り。事前公開原稿のみにライトノベル業界は移行しつつあります。

 作家がSNSでフォロワーを増やしておくべきかどうか、という問題は、事前公開原稿の評価軸にバズったかどうかが採用されているからである、と言っても良いでしょう。反論としてあげられる「バズっても売れないことがある」や「それなら編集者はいらない」などは、この前提があってのものです。ですが、そもそも小説においてヒット数はもはやそこまで問題にはなりません。長文を読むのはコストが高いため、バズった作品でも後半まで読まれたかはすぐに判明してしまいます。

 それでは、依頼原稿のみが良い作品をコンスタントに作れるのか? というと、これは難しいところがあると思います。依頼原稿の良いところは作家の実力がわかっていることと編集者が企画そのものに手を入れられることにありますが、それは事前公開原稿のスタイルでも、作家との打ち合わせ後に書いてもらうだけで十分に可能だからです(企画が出版の約束になっていない点は問題として残りますが)。

 そこで求められるのは、事前公開原稿スタイルでの出版の欠点を潰す方向であるのは間違いありません。そして、そこでの欠点とは「バズったものを右から左に流すだけ」という指摘されがちなこととは明確に違う構造上の問題でしょう。

 それは「編集者が読むべき作品が無限に増えていく」ことです。

 私はもちろん趣味でも小説サイトの小説を読みますが、昨今、かつてとは比較にならないほど公開作品の技術は向上しています。いわゆる「なろう小説」と呼ばれる主要トレンドのものはすでに文章においても独自の様式に進化していますが、それ以外の作品、つまり一般エンタメから純文学と呼ばれる分野においても、小説サイト公開作品の文章レベル向上は目覚ましいものがあります。良い作品を見逃さないために、編集者が読むべき作品は無限に増えていくのです。

 さらに、同じ原因からあらたに生じる問題点もあります。良い作品が今後も増え続けることは、逆に「傑作は一人の作家が続けて書けるものではない」という事実も明確にしてしまうことでしょう。レベルの底上げは市場に傑作しか必要ないことを証明してしまうのです。

 いずれにせよ、作家というものは職業になりえないという時代が近づいてきているのでしょう。出版のためにフォロワー数が必要、という話からこのように考えました。