麻雀の話の続きです。

 
 前回は、麻雀をボードゲームとして見ると欠陥だらけだし、現行のルールで勝つならデジタル打ちしかないのでは? というところまででした。
 
 デジタル打ちが正しい、まではいいのですが、それだけでは麻雀の魅力がわかりません。「トップとの点数差」「上がり役の点数」「リーチと鳴きの有無」「残りの局数」の四要素を考え、降りるか攻めるか意思決定するという数字のゲームになりますから。
 
 現行の麻雀ルールで特徴的なのは、実は勝敗の決定です。ボードゲーム的に考えれば、「長期的に良い順位を保つ(順位の平均値を2.5以上にもっていく)」が勝利条件です。現行ルールに「ウマがある」からです。ゲーム内の点数差をくつがえすだけのボーナスが設定されていますからね。おっと、勝利条件は「トータルでプラス」じゃないのかって? もちろん同じ意味のことを別の言い方にしているだけですが、麻雀が場合によっては少額の商品がかかっている場合がある(穏当な表現)ため、プラスを重視してしまう気持ちの現れですね。私も当初はそう考えていました。
 
 さて、ゲーム的に考えれば、長期的に良い順位になるためには、実は自分があがるのでなく「トップを全員で協力して蹴落とす」のが正解となります。安くしか上がれないならトップ者のツモは鳴きで飛ばし、最下位に積極的に振り込んでいくのが確率的には正解です。できる限り全体の点数差を詰めるプレイでなければ安定からは遠くなります。
 これは現状では、局面的には存在すれど、そこまで強固なセオリーとして扱われていませんよね。もちろん点数差をつけて勝つのが商品的に(再び穏当な表現)おいしいからです。
 
 これはプレイや勝利に対する価値観がゲームの本質から遊離した楽しみ方を出現させてしまった、といえるでしょう。ある程度、麻雀が好きな人からすれば「一位を蹴落とすって個人の価値観で絶対のことじゃないでしょ?」と思ってしまうはずです。しかし、ゲーム的に考えれば絶対なのです。
 
 ここで前々回お話しした「他人が間違ったプレイをしてしまったとき」の話になります。あれは結局、価値観の話でした。麻雀においてはそれがより明確になりますね。そうです、「麻雀はギャンブル的価値観に特化してルールが付け加えられてきた」のです。
 
 これでデジタルとオカルトが存在する理由もわかってきました。麻雀はゲームとギャンブルの中間に位置します。そのせいで「麻雀は大半の人が本当の意味で勝ちたくならない」という不思議なゲームといってもいいでしょう。
 
 もちろん、これを書いている私も、麻雀は現状でギャンブル寄りの方が楽しい、と思っています。つまりボードゲームとしての整合性をとる方が無粋なのでしょう。
 
 結局、「同じ価値観をプレイヤーが共有しているか?」そして「そのゲームのルールは価値観を明示しているか?」が大事なのです。見知らぬ人とプレイするなら、そりゃあギャンブル寄りになりますよね!
 
 個人的な結論として、麻雀ではオカルトを信じるのが楽しいと言いたいと思います。「運の流れはある!」「自分には特有の牌の偏りがある!」「俺は鳴きが強い!」などと確信していきましょう。それを受け止めてくれる土台が麻雀にはあります。意外と他のボードゲームでは感じられないんですよね。そこが非常に良いゲームだと思います。
 
 話もどってMリーグ。もちろんリーグ戦は長期の順位のみ重視になりますので、ゲームとギャンブルに引き裂かれ、どこまで下位者が協調できるか、という見どころがおわかりいただけたかと思います。楽しみに麻雀を打ちながら待ちましょう!