『道化か毒か錬金術』への道。その五(いちばんうしろの大魔王編)

いちばんうしろの大魔王』は、「展開がいきなりすぎないか」「最後に前衛小説になるのは……」という非難もありましたが、どちらかといえば当初の予定通りであり、「少年漫画は最後は概念と戦う」という私の半ば冗談ともいえる見解を実現したものです。
そもそも“自同律”は埴谷雄高『死霊』からの言葉で、そのような小説になることは宣言していたつもりだったわけです。
とはいえ「なぜ作者はそんなことを選択したのか?」は書いておく必要があるでしょう。それが暴走であるのは間違いないとして、病状のせいだけではなく、時代の要請があった、というのが振り返っての結論です。


十年も経過すると忘れてしまう&そもそもわからない方も多いとは思いますが、当時からそれ以前のライトノベルは、とても馬鹿にされていた一方で、サブカルに手を出していた批評家に評価されると売上に関係なく持ち上げられるという状況でした(もちろんその後、売上は上がりますので業界内部の体験者以外には見えにくかったでしょう)。そこで「無理をしちゃった(テヘッ)」という部分と、「ライトノベルのど真ん中でやらないと意味がない(萌えエロ作品で埴谷雄高からベケットに至ると笑えるぞ)!」という気持ちがあったのです。
それにより、総体としても気に入った作品になり、自分としては悪くなかったと思っているのです。


さて、現在の私ですが、幸いにして病状は軽くなり、時代も変化しました。サブカルに手を出していた批評家の価値は下がり、さらにライトノベルに余計な趣味や相応しくないことを持ち込むのは一般化しました(まぁ個人の感想です)。


ようやく、自ら設定した奇妙な縛りから解放されたといえるでしょう。


ここで新作『道化か毒か錬金術』の話ですが、紹介までは数日間をおくことになると思います。また次回よろしく……。