難しい小説?

  前回からの続きになります。

s-mizuki.hatenablog.com

 

 今回からは、小説で自分の「好き」を発見するには、どうしたらいいのか? です。
 結論から言ってしまえば、数を読んでみてその中から共通項を発見する、という作業になるわけですが、小説というのも数を読んでみるのが難しいものです。
 というのも、小説には難度があるからであり、つまり「難しい小説」というのが存在する……というわけです。以前にも書いたことですが、もう一度考えていきましょう。
 さて、この「難しい小説」というのが罠でして、おそらくは一般で言う「難しい」とある程度読み慣れた人が言う「難しい」はものすごく違うものです。
 一般で言う「難しい」というのは、結構昔だと「漢字が多い」だったことがあります! 笑い話でなく、そういう時代があったのです。子供向けと大人向けがきっちり分けられており、子供向けにはすべてにふりがながあるのが普通だった頃です。
 しかし、今でも「語彙が大人のもの」や「新聞に準じた表記」程度が難しさの基準であると考えている人はいるでしょう。あるいは「哲学用語が使われている」か「現実に即したノンフィクションである」とかも。
 そのあたりの認識は「ライトノベルでなく文学を読め」と言っている人のものと一致します。以前、専門学校のライトノベル科の講師をやっていた頃、生徒で「私はライトノベルでなく難しい小説が書きたい」と言っていた生徒がいました。その生徒に「では自分が好きな難しい小説を持ってきて、一ページ目を朗読せよ」と指示したところ、かなりの部分、漢字が読めずに飛ばして読んでいました。が、その生徒は「すでに通読した」と言い張っていました。結局、聞き出してみたところ、その生徒は自伝が書きたいと思っており、その「難しい」とは、自分がメンタルヘルスに通っていることや、バンドのマネごとをやって挫折したこと、などを描けば「重厚=難しい」ものになると信じていたのでした。
 おそらく、これは笑ってはいけないことなのでしょう。一般に言う「難しい」とは、そのような認識であるということです。そして、何が難しい小説なのかがわからなかったならば、あなたもそう外れた認識をしていないことになります(もちろん過去の私もそうでした)。
 そもそも、漢字変換ソフトの指示のままに書かれた文章は「難しい」でしょう。抑々、所謂、所詮、就中、劈頭、など音読されれば意味はわかるものの、漢字としては読みにくいこと間違いなしの言葉はいくつもあります。それらが使われた小説は「難しい」で問題ないでしょう。
 ですが、書き手や読み慣れた人が考える「難しい」はそれでいいのでしょうか?
 もちろんそれ以外の「難しい」があり、それを我々は「難しい」と読んでいます。
 それは「前提知識や前提経験を必要とする小説」です。