そういえば、休んでいる二年から三年くらいの間、ゲームばっかりやってたのを忘れてました。

 ゲームといってもボードゲームが多く、コンシューマーRPGやらソシャゲーやらはそんなに熱心じゃなかったわけですが。
 んで、だんだん見えてくるものもあったわけです。これからはそのへんを書いていこうかと。気合い入れてブログタイトルも変えましたし。
 
 真面目にやってみて、自分の概念が根底から変わったのは格ゲーでした。以前はなんとなく新作が出たらプレイし「やっぱ操作難しいよ、できるやつは異常!」といって投げ出していたわけですが、ストリートファイター5が出てしまい、「操作が簡単! これでできなきゃ幼稚園からやり直せ!」と煽られてしまっては、不器用を理由にできぬというわけです。
 
 幸い、師匠は身近におりました。弟子の根岸和哉です。矛盾してるとしか思えない記述ですが、自分が小説の師匠だというだけです。ねぎ(昔のプレイヤー・ネーム!)先生が格ゲーの師匠なんですな。
 
「相手が対応できなければ強い技のボタンを押すだけのチンパン行動をし続けるんですよ!」
「無敵技を出すときはプリパラの幼児神の叫び(アイヤァイ!)をあげ、たまに叫ぶだけで出さないか叫ばずに出す!」
 など邪道も習ったわけですが、もちろん言いたいことはそこじゃなく、どっちかというと上手なプレイヤーが言語化していないゲームの本質がおぼろげに見えてきたことが本題。
 
 要するに格ゲーとは何を競っているのか? を考えることになったわけです。
 
 先にそれまでどう考えていたかを書いておきましょう。

  • 操作の正確さ
  • 相手の行動にいかに早く反応できるか
  • 心理を読み罠を張る布石力

 
 結果として、それらは間違ってはいなかったものの、ゲームの本質を考えると少しだけ使うべき言葉が違っていた(しかし大きな誤解が潜んでいる)ことがわかりました。その詳細は待て次回更新! というわけでよろしく。
 
 なお根岸和哉はGUILTY GEARシリーズのオフィシャル前日譚小説『GUILTY GEAR BEGIN』を執筆しております。前日譚なので、予備知識必要なし! 買ってからゲームに入るのもよし、ですよ!
 

 
 彼がプレイヤー「ねぎ」だった時代はテスタメント使い。
 
十年以上前のウメハラとの対戦
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 その後、テスタメントはゲームに登場しなくなり、彼もプレイからも遠ざかりますが、小説出版とともに即席の練習で大会参加! 私も後ろで腕組みしながら見ていましたが、隣で見ていたカナダからの遠征組に「あいつの動きは簡単だ。一本取ったものの次は動きを見切られて負けるな」とスポーツ漫画の強豪校みたいなことを英語で言われていました。もちろん予言は当たり雑魚死。
 世界は厳しいぜ……。