第三次世界大戦

強烈なタイトルのわりにはボードゲームの話。

部屋から昔のシミュレーションゲームを発見し、マップを並べてみたよ! というだけで、そのタイトルが『サード・ワールド・ウォー』!

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タバコの箱との比較をご覧ください。でかい!

テーマはワルシャワ条約機構NATOとの戦争。その名前でお気づきの通り、1980年代に想像された「1990年代に戦争が起こったら」というテーマなのです。このマップのヘックスひとつひとつにユニットを置いて指で動かし部隊を行動させるという気の遠くなるようなプレイを強いられます。おそらくフルでプレイしたら二日三日かかると思われます。いやー、昔のゲームってすごいですね(お前が買ったんや)。なお未プレイ。

情報勾配を利用したビジネスモデルと創作の関係

情報勾配を利用して稼ぐビジネスモデルというのがあります。人々の間にどうしても存在してしまう情報リテラシーの差を悪用し、情報が足りない人を騙して金を吸い上げるモデルのことです。具体的には情報商材セミナー商法、水素水などの疑似科学商品、やや広く取れば新興宗教も含まれるでしょう。いずれもその分野において一定以上の情報リテラシーのある人であれば買わない商品であり、売る側も騙すことが前提になっている商売ですね。

ここまで読んだ時点で何のことが書いてあるかわからない方は、すでにカモになっていますので、この先を読む意味はありません。それ以外の方には「イケダハヤトに感化され職を捨ててブロガーになる人に足りないのは、金融商品と顧客商売についての一般的な情報だ」という認識である、という前提でこれから話を進めるのだとご理解ください。洗脳とか同調圧力とかについてはここでは考慮しません(ツアー商法や押し売りは情報勾配を利用していないと考えます)。ともあれ、ここで書きたいのは、「情報勾配を利用して稼ぐビジネスモデルを嫌いすぎるあまり、小説やその他の創作ができなくなる」という現象についてです。

創作を志したとき情報を集めるところからスタートする人は多いでしょう。ある程度人生経験を積んでから創作をしようと思ったときは、すでに多数の情報を知っているのも当然のことです。ここで言う“情報”とは、もちろん上記にあるように、情報勾配モデルに引っかからない程度の常識、という意味ですが、創作においてはそれだけではありません。「このアイデア、すでに多数あるんだよなぁ」と知ってしまうと、それを書きにくいというものは情報の弊害の代表的なものとして知られていますね。
しかし、それは情報の弊害であって、情報勾配を利用したくないという弊害ではありません。まず創作物における情報勾配がどういうものか例をあげていきましょう。小説でいえば、次のような読者の声に情報勾配を見いだせます。

「重厚な戦記物でありSFでもある本作はもはやライトノベルとは呼べない」

「小説は人間を描き人生について考えさせる教養でなければいけない」

これらを情報勾配だと理解できるかどうかで、またこの文章のハードルは上がっているわかですが、ともあれ、これらの主張を行う読者(あるいは読者ですらない)は、小説についての情報が少ないからこのように言っているわけです。

一方、作る側としては、そのような読者が存在することに気づいてしまったとき、次のような悩みを抱えてしまうことになります。

「そうかグロ描写したり戦争であっさり人が死んだりとにかく悩んだりする話にすれば小説の格が上がったように思われるならそうすればいいんだ……だが、それでは情報が足りない人を騙しているだけじゃないか!」

この悩みは、美少女キャラの表紙で売りたいとか、タイトルで騙したいとか、そのようなケースとは別種のそれのように思えます(少なくとも自分には)。そして、売れ線を書いて読者に寄り添うべきか、作り手の信念と小説の芸術性を貫くべきか、という問いとも違うと感じます。

小説も、漫画も、映像作品も、物品としての価値は存在しません。それらは情報商材となんら違うところはないわけです。面白さだけをその価値としているのに、情報勾配の要素がそこに入ってしまったら……。

小説を例にすると角が立つので現代アートでいえば「“紛争地域で使用済みとなった銃器を溶接して作ったオブジェ”を自作として展示することを恥と感じるかどうか」が問題の中核であり、それを恥と思う感情が過剰になり過ぎて創作ができなくなっている現象もあるのではないか? 例をあげると単純ながら、根深い問題かもしれません。
これらの感覚を読者の側から見たものが、盗作疑惑や文学論争、トレス騒動や作画崩壊とされるそれらなのでしょう。

これからも情報勾配が存在し続けることは間違いありません。個々人でそれを乗り越えなければならないし、そのためには開き直るか、技術を磨く以外に方法はないのですが、今後、この問題についてさらに考えていく必要はありそうです。

リーフをプレイ!

 

リーフ 完全日本語版

リーフ 完全日本語版

 

 久々のボードゲーム更新。今回は『リーフ』! あの『スパイスロード』の作者が、ややカジュアル向けを狙って制作した作品です。

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このようにカラフルなサンゴを立体的に積んでいき得点を競います。色が揃っていると点数になるわけです。立体とはいえ色が問題になるのはその時点での一番上のサンゴなので、空間把握力が必要になるわけでなく、ただ綺麗なサンゴを積むだけで楽しいというカジュアルさが魅力です。

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カードを拾う、サンゴを増やす、得点を獲得、の三種類の行動がカード・システムに集約されていますので、誰でもすぐにプレイできるようになります。

このゲームの良いところは、この簡単さ。相手がどれだけ得点したかだけがわかりにくいのですが、そのため相手のことを気にせず、ただ黙々とサンゴを積んでいく。それがいいのです。勝敗はおまけにすぎません。

最後にどんなサンゴ礁になったかを自慢するところまで含めてのゲーム。競技っぽくプレイするには向いていませんが、初心者にボードゲームの楽しさを伝えるには向いています。コンポーネントの豪華さと面白さは他にない感覚。

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なお、私のサンゴ礁はこのように非常にアスペルガーっぽいきっちりしたものになりました。色が揃ってたり左右対称になってないとキレる人のつくったヤツやこれ……。

そこ☆あに様でインタビューを受けました!

sokoani.com

がっつり作品の元になったイメージや事物について語っております!

八十年代のスパイ漫画ブームから、魔夜峰央佐々木倫子那州雪絵青池保子かわみなみあさぎり夕など諸先生方のお名前を出させていただいて、少女漫画の影響のお話しです。わかつきめぐみ先生についても語っておくべきだったか……。

というわけで、『007』『キングスマン』『それゆけスマート』など普通の洋画風アクションの面白さだけでなく、あの時代の少女漫画の面白さと自由さをお若い方にも、というインタビューでした!

『道化か毒か錬金術』本日発売!

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“楽しい”を追求した作品ですよ。

本日HJ文庫より発売! 軽妙洒脱にして馬鹿、その他いろいろな要素が詰め込まれている豪華作品! 書店か下記リンクから!

 

道化か毒か錬金術 (HJ文庫)

道化か毒か錬金術 (HJ文庫)

 

 

宣伝についての悩み

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とはいえ買ってください

このように宣伝をしていて困るのは、自分が購入する側になったとき何を判断基準にしているかよく知っているため、「とにかく目につくために広告回数が多くなくてはいけない」とか「作家は書店員に積極的に話しかけていったほうがいい」とか、あげくは「自己啓発本やダイエット本のような手法でやれ」というよく語られる方法論を有効だと知りつつも、自分がそういう広告をされてしまったら絶対に買わないと考えてしまい、単純な広告にも躊躇してしまうところです。

ちなみに、広告をしやすい作品というのは、買っている人がなんか自分が偉くなったような感じがしたり、どこかのコミュニティに所属したような気になる、そんな要素のある作品でして、前に語った通り、自分は“埒外”なので、どうにもそこが弱い。本作は特にそうでしょう。『道化か毒か錬金術』を読んで笑っていると孤立する、とか言われたくないですよねぇ……。

ともあれ、すでに心の奥になにか深刻なものを抱えている人には響くかもしれません。読むことで人生が変わる……かどうかは知りませんが、良かれ悪しかれなんらかの影響があるように祈りつつ書いていた作品なので、まずは明日、よろしくお願いしますというところです。

『道化か毒か錬金術』事前解説

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発売日は11月1日

さて、発売日も迫ってきた『道化か毒か錬金術』。買おうかどうか迷っている方、あるいは試し読みを読んだ上で「これはどう楽しむもんなのか?」と戸惑ってしまった方に向けての解説となっております。

【新シリーズ】道化か毒か錬金術 | HJ文庫公式Webサイト

試し読みがまだの方は上のURLを。

さて、埒外(らちがい)という言葉があります。まぁ枠から外れることという意味なんですが、あまり良い意味で使われることはないように思います。選考にすらかからないというニュアンスで使われることが多いからですね。そのあたり、我が執筆人生を表しているかのような言葉です。埒外とは、正道でない、ということではありません。正道でない作品は、その邪道ぶりによってそれを好むファンの傾向もわかるわけですが、埒外においてはその作品のファンになんらかの傾向があるとはとても思えない。例えば、「萌え作品好きな人はこんなの好きでしょ?」とか「特撮好きにお薦め」みたいなことがまるで言えないのが埒外というわけです。

本作『道化か毒か錬金術』は完全に埒外です。八十年代の少女漫画パスティーシュではありますが、もちろんそれを知っていることが必須ではありません。ライトノベルではありますが、その文法はまるっきり使っていません。冒険小説ではありますが、核心部がギャグに寄りすぎでしょう。

というわけで、読んだ方の戸惑いも、こちらとしては理解できないわけじゃないのです。とはいえ、その“埒外”作品だからこそ、“あなた=読者個人”に直接お薦めできるというわけです。自分をヲタクだとか腐女子だとか規定してしまえば、そのジャンルの作品はいろいろ目に入ってくるでしょうが、自分を規定したくない人にとっては、それではしっくりくる作品はないのではないでしょうか? そんなとき、埒外のこの作品がお薦めできると思います。

無駄知識ばかり覚えていて、社会の役に立つことが嫌いで、どこかに所属することを嫌悪している人にこそ読んでほしい作品です。

そんなわけで、あなたがどれだけ自由か試される本作を、どうぞよろしく。