『D&D』第五版は現在展開中なわけですが、本作はファンタジーRPGの基本にして最新型となっています。

 
 好感度高いところはまず「呪文、および特殊能力がカード化可能なほどシステマチックに!」という部分ですね。キャラクタークラスに付属している特殊能力はレベルで開放、とコンピューターRPGチックで、レベルごとにどれくらいの強さの特殊能力を付与するべきかが慎重に設定されたことが伺えます。ですから、新クラスを勝手に設定する際の指針があることになり、拡張性の高いものとなっています。
 さらに呪文カードは製品版が発売、呪文管理に迷うことはなくなり、上記の特殊能力もカード化。これで特殊能力の使用を忘れることがなくなります。
 
 判定も基本的にはd20を振るだけで、それに及ぼす修正もプレイヤーサイドにおいては能力値に限定されました。特殊な判定方法は「対抗判定」程度で、ダメージに影響する複雑なルールも「抵抗と脆弱性」のみに落ち着いています。戦闘においてフィギュアとフロアタイルを使用する場合のルールも簡略ながら必要十分なものになり、移動と行動の関係や、接敵時の機会攻撃など非常に納得の行く、かつわかりやすいものになりました。
 これにより、カードゲームのコンボのように特殊能力と呪文を使うことができるようになり、カード化の恩恵を感じることができる(といってもカードをシャッフルしたりはしませんが)でしょう。
 
 しかし、しかし……ですよ、そのように簡略化され、わかりやすくなった、とはいっても、元々が大量のデータがあったゲーム。いろいろ初心者に大変なのは変わりませんただ、大方の予想に反して、最も大変なのは、データ管理や判定ではなく、実はプレイそのものの方法ではないでしょうか?
 
 実は世界観やマスターが用意すべきシナリオは、いまやライトノベルを読めば馴染みとなっているものなのですから。それがコンピューターRPGベースのものであっても、小説になっている時点で自由度が高くなっているわけで、TRPGにはピッタリ。プレイヤーの立ち位置やこれからの冒険で困るところは愛読者ならほとんどない、といっていいでしょう(なお『オーバーロード』や『ゴブリンスレイヤー』などには強く『D&D』を感じられます)。
 では、どうしてプレイに困ってしまうのか? その原因は「ゲーム的な」部分にこそあるのです。
 
 古来、「マンチキン」という言葉がありました。これはTRPGで困ったプレイヤーのことを指すスラングで、いろいろ定義はあるものの、総体としては「ルールの穴をつき、自分のプレイをゴリ押しする」ような人のことをいいます。ダンジョンに入ってゴブリンを倒さなくては、というシナリオで「兵糧攻めにして一週間も待てばいい」というアイデアを出したり、「水を浄化する呪文を相手の血液に使って真水にしたら死ぬ(後にできないとルールに明記されるほど有名な概念でした)」などでした。
 実は、これらをルールで避けるように発展してきたのが日本の一部TRPGの流れだ、とは言えるでしょう。「熱血漫画っぽい行動をした」などが利益になるようなルールが作られたり、キャラクター個別の秘密をマスターが用意し、どうやってもストーリーが展開するように整備されたTRPGなどがあります。
 
 しかし、それでも面白くないプレイに遭遇することはあります。私は『インセイン』で、キャラクター個々の勝利を目指すものだと信じるプレイヤーがいる卓に入ったことがあります。重要な行動を全部黒魔術で占ったと判定し、しかもマスターがそれを許してしまったためシナリオは完遂したもののどうにもつまらない思いをしたものです。
 これは、プレイヤーやマスター個々の問題だけとはいえないでしょう。その卓では、プレイヤーとマスターは知り合いであり、マスターも「面白くないプレイになった」とはあまり思っていない様子だったからです。つまり、TRPGの楽しみ方を知らない人がいる! というわけです。
 
 「TRPGの楽しみ方なんぞ人それぞれ」なのは確かですが、「それなら複数の楽しみ方をしてみよう!」というのが私の提案です。幸い『D&D』は「どういうプレイをしていいかわからない」ゲームであるので、かえって「どんなプレイでも大丈夫」なゲームなのです。
 
 提案するのは「プレイヤーとキャラクターを完全に切り離したプレイ」です。プレイヤーは自分のキャラクターに愛を注ぎますが、キャラクターは勝手に設定どおりの性格(幸い『D&D』では背景を決められます!)で行動する……と考えてみてください。
 そしてマスターは、最初にシナリオで起こる出来事のある程度までをプレイヤーに公開してしまいます。「大規模な戦闘に巻き込まれて村を救わなければいけなくなる」とか「魅了のアイテムを手に入れてしまいパーティーが分裂の危機」とか。
 それを聞いたプレイヤーは、自分のキャラクターがどういう行動をとるだろうか、ということをざっと共有してからプレイを開始します。もちろん後に行動が変化してもかまいません。プレイヤーがするべきは「ストーリーの共有!」です。最後に「いやぁ予想を超えて面白くなった!」というのが目標です。マスターは事前説明では抽象的だったイメージをプレイヤーには隠しておいた遭遇や会話で具体化し、それによって事前の予定に変化を与えていく役割となります。それでも「予想を超えて面白くなった!」と最後にいうのが目標であることは同じです。
 
 以上のことを経験者向けに少し難しく説明すれば、「メタプレイをかなりの範囲まで許容」しかし「ストーリーの盛り上がりを重視するためのメタプレイ」となるでしょう。
 
「俺のキャラクター、そろそろ反省した方がいいと思うんで、独断先行で死にかけたいんだけど」
「いや、むしろ、僕のキャラがそれを助けようとして死にかけるんで、それで反省してよ」
「じゃあ、こっちはそのタイミングでわざとヒール呪文とらないぞw なんかいい言い訳考えないと」
 のように事前協議するわけです。
 
 難しいプレイではありますが、試す価値はありますので、やってみてください。「面白いリプレイを書けるようにプレイする」というイメージが経験者やファンには馴染み深いかと思います。パロディを控えめにするのもコツですよ!