見よう! 映画『札束と温泉』

 またも久方ぶりの更新になってしまいました。今年の前半も終わろうとしていますが、自分は公開できない小説をひたすら書き、釣り(詐欺等ではないほう)をし続けるという健康な生活をしていました。マスに加えてバスをやると釣行が増えますね。

 さて、今回は映画の感想となります。というのも昔からの作家仲間がなんと監督をされたということで、試写会に行ってきたのです。監督:川上亮 映画タイトル『札束と温泉』です!

satsutabato-onsen.com

その前に川上亮監督とは

 映画『人狼ゲーム』シリーズの原作・脚本担当であり、『人狼ゲーム/デスゲームの運営人』で監督デビューを果たしていた脚本家・映画監督です。ゲーム作家でもあり、マーダーミステリー作品多数、『キャット&チョコレート』シリーズ等を制作しておられます。作家としては川上亮名義だけでなく、秋口ぎぐる名義でも執筆されており、私とは富士見ミステリー文庫時代にご縁がありました。年配のライトノベル読みの方にだけよくわからん形でいまだに知られているレーベルで大半の人に通じないわけのわからん活動をしていたという共通点があり、ある種の戦友感を持っている関係です。

 

クラウドファンディングを買ったぞ

 川上さんは映画監督としてはすでにデビューしており、その作品『人狼ゲーム/デスゲームの運営人』も傑作であることは拝見していて、評判も上々であったことから意識してはいたのですが、そもそも「出演するとビッグになる」という噂のあった(初期の主演に桜庭ななみ、土屋太鳳さん等!)メジャー作品であり、自分はいちファンとして遠くから見ていよう、などと思っていたのです。

 

 

 ところがこの『札束と温泉』ではクラウドファンディングが行われるとのこと。しかも監督コメントとして「”いまさらかよ、と言われるかもしれませんが、初期のガイ・リッチー作品やタランティーノ作品、コーエン兄弟作品のような「入り組んだ物語」と「犯罪」と「ユーモア」の融合を目指しました。」と書いてある! ガイ・リッチーに“初期”と断りがあるのが最高でして、私のように過去の秋口ぎぐる作品を読んでいる者からすれば「完全に初期衝動を忘れていない作家の本気作やんけ!」と一発でわかる!

 即座にクラウドファンディング水城正太郎名で申し込み(クレジットされております。ありがてぇ)、それを御本人に補足された結果、川上さんと久しぶりに東京でお会いできることになったわけです。

 

クレジットはエグゼクティブ・プロデューサー

 お会いして楽しい会話(ロケ地である大分の話など)をしているうち、驚愕の事実が。なんと『札束と温泉』の製作・企画は御本人! 「本気度が違う……やりやがった……」と色めき立つ事態に。その時点から期待感がさらに膨らみはじめます。なにかものすごいことになっている予感がします。

 

試写会に行ってきた

 そして先日、試写会がありました。当然ネタバレなしの感想になるわけですが、贔屓抜きにしてもオススメです! まず長台詞が実に良い! ワンカット・スタイルの映画なので通常よりもセリフ間の間(ま)がとりにくいわけですが、ここを“ツッコミが早いコメディ”にすることで高速化、さらに掛け合いにすることでキャラクターの関係性まで出してくるという具合! 自然体ではありえないのに自然体であると思わせることにも成功しています。元は舞台劇をやるつもりで執筆されたそうなので、ワンカット・スタイルは実にハマった感があります。

 ストーリーは予告編を見ていただいてわかるように、登場人物全員が互いに知らぬ思惑を持って動いており、それが混乱をもたらすと同時に、視聴者に対しては謎解きの感覚を与えています。これはマーダーミステリー感覚ですね! マーダーミステリーファンにはかなりオススメできます。そういえばありますね『死体と温泉』! もちろん別ストーリーのはずですよ(マーダーミステリーの例に漏れず断言するとネタバレになるので)!

 

 

 映画的にはワンカットのためのワンカットにはなっていないところが良いですね。カメラ視点を意識させるためでなく、映画的なカットにするためのカメラ360度回転や、キメのアングルからキメのアングルへの計算された移動など見ていて快感が生まれる演出のため、映画にダレるところは一切ありません。

 役者さんも撮影カットが長いのにすごい演技を見せてくれます。キャラクター全員が焦っている設定も相まっての高速運動、高速セリフなのに違和感なし! 見切れる瞬間でも常になにかやっている! すでにファンを獲得されている役者さんも多数ですが、よりビッグになる方もこの作品から出られるのではないでしょうか。

まとめ

 とにかく見よう! という作品になっています。爽快感のあるストレートな娯楽作。川上亮監督御本人からは当然ながら不満足だった点はあると伺っていますが、それはご自身でこだわり尽力された作品であればこそ必ず生じる現象。いち観客としては完成度の高い作品と感じました。

 もちろん低予算ではあるのでCGや海外ロケなどはこの作品には欠けていますが、かえって日本映画ではそれらは求められていなかったりします。つまり日本式のコメディーとしてはこれがひとつの完成形ではないかと思わせてくれる『札束と温泉』、確実にオススメなので、劇場でご覧ください!

2022年振り返り

 またも久々の更新となってしまいました。例年のように本年の総括となっております。

 今年は公私共にいろいろあり壮絶にしてターニングポイントとなるような一年でした。公的にはもちろんロシアによるウクライナ侵攻があり、私的には『異界心理士の正気度と意見』コミカライズがありました。

 

ロシア哲学史を通読したよ

 ウクライナ侵攻でロシア哲学の変遷に興味がわき、『ロシア哲学史』を通読したことは面白い経験になりました。大学の教科書としても使われる本であり、共産主義革命の際に亡命した哲学者たちの哲学を国家哲学として再定義しようとしています。ですが、ある種の悲壮感さえあるこの行為に後ろめたさを感じている様子は本書からは微塵も感じられず、ルーシの精神性の高さを謳い上げるような記述が随所に見られ、すぐにでも世界哲学に肩を並べるロシアという自己陶酔的な序文からもうかがえる民族的コンプレックスの発露は拭い難い欠点となって本書を覆っています。しかもそのコンプレックスは西欧哲学にのみ向けられたものであり、なんとかしてそれを乗り越えようとするあまり、西欧哲学が切り捨てた要素を再度採用してしまう結果となっています。ロシア正教を正当化するために思想を捻じ曲げることも随所に見られ、思考の論理性と民族性が違うならば民族性を採用する傾向もあります。さらに東洋の神秘主義への無理解からくる神秘主義への耐性の低さはいかんともし難いレベルで表出しており、ソボールノスチなる精神的全体主義を頑なに守ろうとする様は哀しく感じられるほどです。これらが現在話題になっている新ユーラシア主義につながるわけですが、これらの欠点をロシア研究を専門にしてきた人々が無視していることが私にはより衝撃でした。

 

人文関係者の党派性は今後問題となるかも

 私の『ロシア哲学史』感想を「今の日本人ならこういう見方になるかもしれない」という言葉でさらりと躱した研究者もいたくらいで、私の意見(さらには認めた通り日本人一般が受け取るであろう印象)が戦時における偏見であるなら、正しいロシア哲学の現状を説明すれば良いはずなのですが、そうした記述はありませんでした。その他のロシア関係の研究者にも積極的に現在のロシア哲学を説明している様子はありません。確かに一般人にロシアを叩く傾向が生まれているかもしれませんし、ウクライナ国内でのロシア文化キャンセルなども行き過ぎると問題でしょうが、それに対する反対を表明するだけという不誠実さは単なる保身によるものを越えて党派性にのみ身を委ねていると言わざるを得ません。反ロシア傾向が日本の右翼傾向者にのみ見られるという思い込みから「ロシア人の大半に罪はない」とか「ロシア文化は簡単に説明するには複雑すぎる」という発信のみ繰り返すのは、その発信者当人がよく嫌っている「一部を見て全体を断じる人」に自身がなっていることにまったく気づいていないことにほかなりません。

 今問題になっている親ロシアの頭のおかしいレベルにまで行ってしまっている陰謀論者たちを学識者たちが切り捨てる義務はありませんが、研究者が説明すべきことはしておかないと外部からは「単に党派性でのみ発言している人」とみなされることになってしまうでしょう。日本人全体がロシア叩きをしていない一方、戦争に賛成しているロシア人とて多い、と考えて発言できなければスタートラインにすら立っていないことになるのです。

 

未熟で貧困な世界観との戦い

 関連して、昨年までは言葉を濁し、戦いを直視しないで済めば良いと願っていたようなことが今年は前面に出てきたように感じられます。Qアノン系とくくられる反ワクチンを代表とする陰謀論者、疑似科学医療詐欺加担者などは言うに及ばず、それらと親和性の高い人々は親ロシア言説者としても浮上してきました。Twitterで何故かロシアのプロパガンダを自発的に広めている者が暴れています(どうも職業的では、つまりスパイではないらしい)。さらにこの文章でも書いている人文系の人々の偏向、細かいところではフェミニズムNPOの不正会計への監査に見られるような思想運動家の異常性や、インフルエンサーが陰で脅迫を行っていたことを出版社が無視していたことなど、未熟で貧困な世界観を持つ者が社会への害悪をなしていることが浮上してきました。去年はそれと戦う者もパージされてしまう傾向があったわけですが、それらが前景化されてきたことにより、より戦いは直接的で激しくなってしまうことになるでしょう。

 

結局は情報を増していくしかない

 となれば、相変わらず問題となるのは「なぜ我々はそれを異常だと感じることができるのか?」です。この問いは、彼らにも彼らなりの理があることを肯定するためのものではありません。彼らを異常だと感じられるのは何故か? というそのままの問いです。以前にも書いたように、そのためには情報を収集し続け、自分が背負っている“物語”を更新し続けるしかないというのが結論になります。「ロマンチックな狂気など実在しない」という精神科医の言葉にもある通り、異常だと感じる行動は、正常な行動よりも類型的です。つまり、以前に出会ったおかしい行動の人や歴史上存在した暴走する独裁者などを見れば、現在直面しているおかしな人々について「類型的な間違いをおかしている」と感じられるというわけです。

 

争いは続いていく

 来年はそういう意味で争いの絶えない年となるかもしれません。暗い予測ではありますが、自分がおかしくなっているとき「類型的なあの異常者と同じ考えになっているぞ!」と自覚できるようにありたいものです。党派性を背負ってしまうことも、愛国心アイデンティティにしてしまうことも、いまさら極左的な純潔性を希求してしまうことも、かつてあった類型的で未来のない行為にすぎないのですから。

 

個人的には

 最後に個人的なことに触れておけば、『異界心理士の正気度と意見』コミカライズは喜ばしいことでした。できるだけ多くの人に読んでいただきたいものです。こちらも新作を頑張りたいと思っていますので、商業化へのハードルも高い昨今、多くの支持を来年もいただきたいと思っています。それではよいお年を。

ある意味オススメできないボードゲーム版『エルリック』

 実に久々のボードゲームプレイ記録です。不特定多数によるコンベンションでなく、完全な個人として集合してのプレイとなっております。早いところこの状況が収まって欲しいものです。

日本語版は天野喜孝先生の美麗パッケージ

 

 個人が持ってきたゲームってことで、珍しい作品『エルリック』をプレイ! 『エルリック・サーガ』のゲーム化で、なんと作られたのは1977年らしいです。日本語版は1985年。いずれにせよびっくりするぐらい昔のゲームです。当然ながらゲームシステムは褒められたものじゃない。後述しますが、総論「原作ファンなら買いか」(昔のファミ通レビューのキャラゲー定型句)ということになります。

 古さが明確な欠点となって現れているのは、いわゆるマルチゲームとウォーシミュレーションの中間を取ろうとしてしまうゲーム黎明期特有の問題です。「戦争を再現するには細分化したユニットを細かいマップ上で動かして戦闘力を比べてダイスを振るべし!」なる不文律があったわけです。『エルリック』ではマップを見てもらえれば分かる通り美麗ではあるもののエリアの区分が細かくなっています。この広大な地をなんとキャラクターや軍隊は一ターン四マスという移動力(さらに移動力は様々な障害でも消費される)で動かなくてはならないのです!これで何をどうしろと……。

美麗なマップ。小説を読む際の補助に最適。

 

 最終目的はメルニボネを陥落し最終ターンまで支配すること。最終ターンまでにメルニボネに移動できるかどうかは運の要素が強く、しかも当然ながらメルニボネの軍隊は強力。戦闘はウォーシミュレーション特有の「損害を受けて撤退はするものの全滅はしない」結果の存在により複数ターンに渡ることも多々あります。プレイヤー同士は同盟がルール化されてはいないので、必然、ルール外の談合でどうにかしないとプレイヤー同士の泥沼化した戦争(しかも足を引っ張るだけの!)をするだけで十ターンはあっという間に過ぎ去っていきます。

 可能性を感じさせるもののうまくいかなかったルールに「魔法」があります。魔法はユニット化されており、このユニットを布袋からランダムで引くことが特徴となっているのですが、盤上のシミュレーション以外のすべてのシステムを魔法に背負わせてしまうという冒険的な試みがなされています。なにしろ「全体のコンフリクトレベル(法と混沌への傾き)調整」「ランダムに襲ってくるモンスター」「移動補助」「召喚」「エルリックのランダム行動」等のすべてを無理やり魔法ユニットに詰め込んでいるのです。それランダムでいいのか? というものまですべて! 結果として、魔法の引きがすべての運ゲーが展開されます。

一国家のキャラクターはこんなもん。戦力は最高でエルリックの6。

 

 なにしろプレイヤーは一国家のみからのスタートで、メルニボネ陥落にはとても戦力が足りない。そこで最初はユニットが存在しないNPC国家を「召喚」しなければならないのです。召喚は魔法使いが最初にランダムで持っている魔法か、荒れ地に配置されている野良魔法を探索で拾わなくてはなりません。召喚は魔法に土地名や個人名が書いてあるので、その該当首都まで行って召喚、というプロセスです。しかし、荒れ地ではランダムに魔法が襲ってきますし、魔法を探索で拾えるかはなぜかダイスで二分の一を成功しなくてはなりません。当然、スタート時から隣接していた魔法を五ターンくらいまで拾えないなんてこともそれなりにあります。魔法を拾えないとゲームに参加できていないことと同義なので、ダイス目ひとつでものすごい虚無が体験できます。しかも引いた魔法で召喚できる土地が対角線の反対だった場合、最終ターンでの召喚が確定するという虚無もあり得ます。今では考えられないゲームデザイン

 逆に「テレポート」「記憶の鏡(陸軍・海軍喰らい)」という二種の魔法が揃えば、魔法使い単騎であっという間に当該の地を滅ぼすという極端なことも可能です。それぞれ好きな土地に移動と軍隊を壊滅させるという魔法で、一枚ずつしか入っていませんが……。

 しかしながら「原作ファンなら買いか」というのも嘘ではなく、「いたねぇ、こんなキャラ」という人物がユニット化されており、マップ上に展開します。すべてイラスト化するのは大変な作業だっただろうに……。であれば、「○○と○○が戦争!」とか「○○がエルリックの悪夢により惨殺!」とか、ランダム要素を原作を読み込んでいる人特有の妄想力で楽しむことができます。

乞食国家の皆様。ホントにそういう設定なのだ……。

 

 そんなわけで新しいコミックも翻訳されていることだし(続刊出ないね)、原作の熱心なファンなら眺めるだけで満足できる(ある意味プレイしてはいけない)本作、オークションでしか手に入りませんが、一見の価値はあります。アートワークはそのままにリメイクされないもんでしょうか。

中途ターン。ここで伏せてある魔法が拾えないとエルリックがいても戦力が足りん。

『異界心理士の正気度と意見―いかにして邪神を遠ざけ敬うべきか―』単行本本日発売!

文ノ梛先生による当日イラスト!

『異界心理士の正気度と意見―いかにして邪神を遠ざけ敬うべきか―』一巻、本日発売となりました! 森瀬繚先生による豪華神話解説、作品解説、新規イラスト、私の新作短編、TRPGにも役立つ異界となった鎌倉ハザードマップは単行本だけ! ご購入のほどよろしくお願いいたします!

 

 

『異界心理士の正気度と意見―いかにして邪神を遠ざけ敬うべきか―』コミカライズ連載開始

先だっての予告通り『異界心理士の正気度と意見―いかにして邪神を遠ざけ敬うべきか―』コミカライズが連載開始となりました。

大船観音をバックに大船駅コンコースに立つ純ちゃん!

firecross.jp

特設ページも御覧ください!

firecross.jp

本格和製クトゥルフ神話譚となっております。是非!

単行本も8月1日発売! 書影出ております! この夏は『異界心理士』で盛り上がれ!

 

 

『異界心理士の正気度と意見―いかにして邪神を遠ざけ敬うべきか―』コミカライズ

『異界心理士の正気度と意見―いかにして邪神を遠ざけ敬うべきか―』コミカライズががコミックファイア様にて7月15日より連載されます!

描くのは『旅とごはんと終末世界』の文ノ梛先生!

江ノ島クトゥルフが上陸した日本で狂気汚染に挑む人々は……」というクトゥルフ神話に連なるストーリー!

予告編を作りましたのでご覧ください。

 

www.youtube.com

文ノ梛先生のファンはホラー愛好家でもある先生の新境地を、クトゥルフ神話ファンは久方ぶりの日本でのストレートな神話作品を、本ブログの読者は私の原作がどう解釈されたかをお楽しみください!

 

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新作『邪宗狩り』

 カクヨムに新作『邪宗狩り』を公開しました。

kakuyomu.jp

 ジャンルは「ホラー」「宗教」「奇書」などとなっております。本ブログでオカルト関係の記事をお読みくださっている方にはすんなり入っていけるものと思っております。とはいえ自分でもわけのわからぬところもありますので「お、こういう方向の娯楽作か……いや、なにこれ?」となっていただけると嬉しいです。

 単行本一冊分で完結した作品ですので、すべてお楽しみいただけます。

 今後『異界心理士の正気度と意見―いかにして邪神を遠ざけ敬うべきか― 』についても続報あると思われますので、そちらとともによろしくお願いいたします。