『可愛げ資本』などとぶち上げましたが、それは、なんとなくの造語。ですから、その言葉の説明に入る前に、前回書いた状況をさらに追認してみることが必要でしょう。

 
 我々(おそらくはネット上の発表を営業としている全員)は、もはや、なんであれ「何かあったときに守ってくれる集団」に所属することはできないだろう、と私は考えています。もちろん家族や友人がおり、彼らの愛を疑ってはいない方も多いでしょうが、もし炎上が起こったならば、「俺はお前の友人だが、お前が黙らないと守ってはやれない」とか「苦しいだろうが、今は黙って嵐が過ぎるのを混て」という親身ではあるものの「黙れ」という代償を要求しているのだと感じられる言葉が出てくることは想像に難くありません。まぁ無償の愛を要求するな、といえばそれまでなのですが、かつての会社、あるいはギョーカイというのは、それらを許容していた、というか表に出さないものとして処理していた、ということです。今は個人の情報発信が簡単になったからどうにもならん、というわけです。
 
 現在の炎上は「ポリコレ的に問題」な発言をきっかけに起こることが増えていると感じられます。個人の発言にポリコレが過剰に求められることについての良し悪しの判断は保留するとしても、現実の事例を数え上げることも簡単である以上、現実と受け止める他はなさそうです。炎上について書くのは本題ではないので、軽く流して次の機会に譲るとして、ここで重要なのは、ポリコレが進化した結果、炎上しない人はいなくなっていく、ということでしょう。誰もが過去の冗談を抜き出されてしまっては炎上不可避! というだけでなく、自虐だけしていようが自分が弱者だろうが、誰もが怒られる側であり、怒る側にもなり得る、わけです。気を使っていても誰かを攻撃してしまうし、誰かから攻撃もされてしまう。
 
 そんな時代を否定するでもなく、楽しんで発言していくにはどうしたらいいか? そこで私が提唱するのが「可愛げ」でネット世界を満たせ! ということ!
 
 「なんか可愛げある」という人物、あなたのまわりにもいるはず。この「可愛げ」は性別はおろか、美醜とも無関係。性格、自分が持って生まれた属性や、ハマっている趣味やスタイルとも無関係です。言っている内容とは無関係に「なんかカワイイ」それが可愛げです。
 
 「可愛げ」はポジティブなことを言っている時に多く発せられます。好きなものについて語っていたり、好きなことをしていたり。それらを積み重ねることであなたの『可愛げ資本』は積み上がっていきます。
 
 さらにその資本は他人に分け与えられたり、共有することができます。誰かとキャッキャウフフすることにより、それは減ることなく増え続けます。友人であれ、通りすがりの人であれ、キャッキャすべきということです。そうしていれば当人たちでなく、やり取りを見た人が「資本を感じる」わけです。
 
 ネット上の人格が可愛げを増していくにつれ、それは自分業界を維持する力になってくれることでしょう。それは炎上を避けることには繋がらないものの、炎上後の再起を願う際には力になってくれるものと思います。
 
 「そりゃコミュ力が大事だって言ってるだけじゃね?」いや、それはそうなんですが、コミュ力は明確に暴力的なパワーとして扱われるケースが多数かと思います。飲み会の強制とか、場の空気の押し付けとかですね。可愛げは、文字コミュニケーションであるネット上でだけ通用する概念として提唱しています。ネット上だけの人格を作るのは維持が難しいですが、自分の性格から可愛げのある部分を発見していく、という感覚ですね。
 
 我々はもはや誰もが差別される可能性のある要素を抱えており、誰も傷つけずに発言することは不可能なネット世界に生きています。だからこそ、我々は何度でも再起しなければならないのです。賢く、強くあることを目指すより、可愛げのある存在であることを目指せば、現状ではより再起しやすいことでしょう。いずれは、この可愛げ資本ですら権力とみなされ攻撃される時代も来るでしょうが、それまでは……。
 
 要するに「みんなで人気者になるべし」「バーチャルな肉体を活用すべし」と言い換えれば、普通のことを言っているだけですね。おじさんたちがカワイイというムーブメントが起きている今、誰であれ「可愛げ」によってイケる土壌ができています。
 
 おじ、おば、よ、可愛げのある人であれ!