具体性がないと……。

s-mizuki.hatenablog.com

  「明確なストーリーのない小説」、あるいは「ストーリーの弱い小説」は馴染みは薄いでしょうが、実際、複数あります。カフカなどはストーリーがまだ存在する方で、ベケットの後期などは不条理というより思考をそのまま改行なく書いただけというものさえあります。
 しかし、それらが面白くないかというとそんなことはなく、ただ読んでいく瞬間だけに意味があるという点では非常に面白いものです。それに、現代でもそのような小説が残っているのは、それらが面白いからにほかなりません。
 皆が事前に抱いているイメージとは違って、そのような思弁的とか、不条理とか呼ばれる小説は、実に具体的なことが書かれている場合が多いのです。カフカも映像化可能なほどに具体的で、実際に映像化されています(きちんと見ると細部が小説通りでないことも含めて楽しめます)。
 逆に、ただ独善的な心情が書かれているような作品は、実は不条理でもなんでもないということがわかります。不条理で難しい小説について多くの人が抱いているイメージは、実はこの「下手な小説」なのです。
 多くの人が小説を書く際にもこれを忘れています。自分がいかに駄目かを書いて同情を得ようとし、同情を得ようとする自分は卑しい、みたいなループに入る作品です。
 これらに共通しているのは、具体性がないこと。自分がいかに駄目かを書くなら、失敗例を具体的に描けば、読者も楽しんでくれるし、その言語が特殊であれば、文学的な価値も当然あがります。
 このように、小説は明確なストーリーがあろうがなかろうが、「具体的な事例がきちんと書かれている」ことで読者は読み進められるようになるのです。
 一方、真に具体性のない小説は、あるにはありますが、それは具体性を経て到達できる話なので、まずは具体性を持って書かれたものを正確に読み取ることこそが、小説によってあなたの「好き」を発見する方法になる、ということになるかと思います。