年末のご挨拶

歳の瀬がやってきた! というと“歳の瀬”という力士でもいるのかと思ってしまう方も多いと思いますが、なんにせよ年末なので、今年を総括しつつ昨今の考えでも記していこうかと思います。

本業である小説の方は、復活こそしたものの、いまだ世間への接続感が無い、というのが正直なところでして、この「世間への接続感」というのは、要するに「ブームに乗れているか?」「時代を掴めているか?」に近いながら、それらのように受け身ではなく「わずかながらでも時代を変えられたか?」のような感覚のことをさしているわけですが、まぁ、これが無かった、残念! という結果でした。

これはずっと昔から存在する問題である以上、考えても無駄というもので、「何度でもトライしろ、ただし生き残るにはブームに“乗らない”ことが最も大事」という先人の教えを守り続けるしかないでしょう。

ブームといえば、現在、歴史上最大の小説家ブームが来ているわけでして、来年の業界の未来予測はむちゃくちゃ難しいんじゃないでしょうか。かつて無いほどの作家が世におり、出版点数は史上最多、でありながら、市場規模は縮小を続けています。しかも、この市場規模は概算すれば、実は競馬市場の半分程度しかないわけで、平均を取れば作家よりも馬の方が価値が高いことになります。マジか。

ついでに競馬にたとえれば、めちゃくちゃな数のレースと競走馬が存在するので、どれに賭けるかよりもそのレースを見たかどうかの方がより問題という奇っ怪なことになっています。一時は「交通整理をする書評家が作家よりも重要になるのでは?」という論もありましたが、まったく現実化しておらず、それも「馬券が当たるなら予想屋やってないわなぁ」という比喩がしっくりくるという次第。しかも、小説の読者はだいたい書いている。走りながら観客席にもいるし、最も金を張り込んでいる賭け手でもある。

そんな現状を見つつ、当座の未来予測をするならば、コンテンツとキャラクターのどちらが生き残るのが小説にとって最適なのか? という点こそが焦点になっていくであろうと考えます。

コンテンツは小説そのもの。作者で買われるというよりは、小説自体が面白いか? とか時流に乗ったか? で買われるということ。旧来のスタイル、というか、現状はこれですね。売れた作品であっても、ほとんどの人は作者名をとっさには答えられない。

キャラクターはここでは小説内に登場するキャラクターのことではありません。作者が作り上げた仮想のガワ。作品を宣伝するための人格のことです。多くの場合作家自身でもあります。過去には私小説が文学だと思われていた時代があり、現在も愛される文豪のイメージはまさにそういうキャラクターがベースになっています。いまでも「偉くて知的で悩んでいる人が人生に大事なことを書いているのだからとりあえず読んで見るか」という具合に小説に接続されています。

この“私小説”に相当する作品スタイルがキャラクターと悪魔合体して新規に生まれるであろう……というのが私の予言となります。例えば現在でもバーチャルユーチューバーが小説を書いたら、その文体や物語のスタイルまで想像できる人もいるわけです。

まぁ、ほぼ与太話ですが……。

ともあれ、来年、自分も頑張ってまいります。