2022年振り返り

 またも久々の更新となってしまいました。例年のように本年の総括となっております。

 今年は公私共にいろいろあり壮絶にしてターニングポイントとなるような一年でした。公的にはもちろんロシアによるウクライナ侵攻があり、私的には『異界心理士の正気度と意見』コミカライズがありました。

 

ロシア哲学史を通読したよ

 ウクライナ侵攻でロシア哲学の変遷に興味がわき、『ロシア哲学史』を通読したことは面白い経験になりました。大学の教科書としても使われる本であり、共産主義革命の際に亡命した哲学者たちの哲学を国家哲学として再定義しようとしています。ですが、ある種の悲壮感さえあるこの行為に後ろめたさを感じている様子は本書からは微塵も感じられず、ルーシの精神性の高さを謳い上げるような記述が随所に見られ、すぐにでも世界哲学に肩を並べるロシアという自己陶酔的な序文からもうかがえる民族的コンプレックスの発露は拭い難い欠点となって本書を覆っています。しかもそのコンプレックスは西欧哲学にのみ向けられたものであり、なんとかしてそれを乗り越えようとするあまり、西欧哲学が切り捨てた要素を再度採用してしまう結果となっています。ロシア正教を正当化するために思想を捻じ曲げることも随所に見られ、思考の論理性と民族性が違うならば民族性を採用する傾向もあります。さらに東洋の神秘主義への無理解からくる神秘主義への耐性の低さはいかんともし難いレベルで表出しており、ソボールノスチなる精神的全体主義を頑なに守ろうとする様は哀しく感じられるほどです。これらが現在話題になっている新ユーラシア主義につながるわけですが、これらの欠点をロシア研究を専門にしてきた人々が無視していることが私にはより衝撃でした。

 

人文関係者の党派性は今後問題となるかも

 私の『ロシア哲学史』感想を「今の日本人ならこういう見方になるかもしれない」という言葉でさらりと躱した研究者もいたくらいで、私の意見(さらには認めた通り日本人一般が受け取るであろう印象)が戦時における偏見であるなら、正しいロシア哲学の現状を説明すれば良いはずなのですが、そうした記述はありませんでした。その他のロシア関係の研究者にも積極的に現在のロシア哲学を説明している様子はありません。確かに一般人にロシアを叩く傾向が生まれているかもしれませんし、ウクライナ国内でのロシア文化キャンセルなども行き過ぎると問題でしょうが、それに対する反対を表明するだけという不誠実さは単なる保身によるものを越えて党派性にのみ身を委ねていると言わざるを得ません。反ロシア傾向が日本の右翼傾向者にのみ見られるという思い込みから「ロシア人の大半に罪はない」とか「ロシア文化は簡単に説明するには複雑すぎる」という発信のみ繰り返すのは、その発信者当人がよく嫌っている「一部を見て全体を断じる人」に自身がなっていることにまったく気づいていないことにほかなりません。

 今問題になっている親ロシアの頭のおかしいレベルにまで行ってしまっている陰謀論者たちを学識者たちが切り捨てる義務はありませんが、研究者が説明すべきことはしておかないと外部からは「単に党派性でのみ発言している人」とみなされることになってしまうでしょう。日本人全体がロシア叩きをしていない一方、戦争に賛成しているロシア人とて多い、と考えて発言できなければスタートラインにすら立っていないことになるのです。

 

未熟で貧困な世界観との戦い

 関連して、昨年までは言葉を濁し、戦いを直視しないで済めば良いと願っていたようなことが今年は前面に出てきたように感じられます。Qアノン系とくくられる反ワクチンを代表とする陰謀論者、疑似科学医療詐欺加担者などは言うに及ばず、それらと親和性の高い人々は親ロシア言説者としても浮上してきました。Twitterで何故かロシアのプロパガンダを自発的に広めている者が暴れています(どうも職業的では、つまりスパイではないらしい)。さらにこの文章でも書いている人文系の人々の偏向、細かいところではフェミニズムNPOの不正会計への監査に見られるような思想運動家の異常性や、インフルエンサーが陰で脅迫を行っていたことを出版社が無視していたことなど、未熟で貧困な世界観を持つ者が社会への害悪をなしていることが浮上してきました。去年はそれと戦う者もパージされてしまう傾向があったわけですが、それらが前景化されてきたことにより、より戦いは直接的で激しくなってしまうことになるでしょう。

 

結局は情報を増していくしかない

 となれば、相変わらず問題となるのは「なぜ我々はそれを異常だと感じることができるのか?」です。この問いは、彼らにも彼らなりの理があることを肯定するためのものではありません。彼らを異常だと感じられるのは何故か? というそのままの問いです。以前にも書いたように、そのためには情報を収集し続け、自分が背負っている“物語”を更新し続けるしかないというのが結論になります。「ロマンチックな狂気など実在しない」という精神科医の言葉にもある通り、異常だと感じる行動は、正常な行動よりも類型的です。つまり、以前に出会ったおかしい行動の人や歴史上存在した暴走する独裁者などを見れば、現在直面しているおかしな人々について「類型的な間違いをおかしている」と感じられるというわけです。

 

争いは続いていく

 来年はそういう意味で争いの絶えない年となるかもしれません。暗い予測ではありますが、自分がおかしくなっているとき「類型的なあの異常者と同じ考えになっているぞ!」と自覚できるようにありたいものです。党派性を背負ってしまうことも、愛国心アイデンティティにしてしまうことも、いまさら極左的な純潔性を希求してしまうことも、かつてあった類型的で未来のない行為にすぎないのですから。

 

個人的には

 最後に個人的なことに触れておけば、『異界心理士の正気度と意見』コミカライズは喜ばしいことでした。できるだけ多くの人に読んでいただきたいものです。こちらも新作を頑張りたいと思っていますので、商業化へのハードルも高い昨今、多くの支持を来年もいただきたいと思っています。それではよいお年を。

ある意味オススメできないボードゲーム版『エルリック』

 実に久々のボードゲームプレイ記録です。不特定多数によるコンベンションでなく、完全な個人として集合してのプレイとなっております。早いところこの状況が収まって欲しいものです。

日本語版は天野喜孝先生の美麗パッケージ

 

 個人が持ってきたゲームってことで、珍しい作品『エルリック』をプレイ! 『エルリック・サーガ』のゲーム化で、なんと作られたのは1977年らしいです。日本語版は1985年。いずれにせよびっくりするぐらい昔のゲームです。当然ながらゲームシステムは褒められたものじゃない。後述しますが、総論「原作ファンなら買いか」(昔のファミ通レビューのキャラゲー定型句)ということになります。

 古さが明確な欠点となって現れているのは、いわゆるマルチゲームとウォーシミュレーションの中間を取ろうとしてしまうゲーム黎明期特有の問題です。「戦争を再現するには細分化したユニットを細かいマップ上で動かして戦闘力を比べてダイスを振るべし!」なる不文律があったわけです。『エルリック』ではマップを見てもらえれば分かる通り美麗ではあるもののエリアの区分が細かくなっています。この広大な地をなんとキャラクターや軍隊は一ターン四マスという移動力(さらに移動力は様々な障害でも消費される)で動かなくてはならないのです!これで何をどうしろと……。

美麗なマップ。小説を読む際の補助に最適。

 

 最終目的はメルニボネを陥落し最終ターンまで支配すること。最終ターンまでにメルニボネに移動できるかどうかは運の要素が強く、しかも当然ながらメルニボネの軍隊は強力。戦闘はウォーシミュレーション特有の「損害を受けて撤退はするものの全滅はしない」結果の存在により複数ターンに渡ることも多々あります。プレイヤー同士は同盟がルール化されてはいないので、必然、ルール外の談合でどうにかしないとプレイヤー同士の泥沼化した戦争(しかも足を引っ張るだけの!)をするだけで十ターンはあっという間に過ぎ去っていきます。

 可能性を感じさせるもののうまくいかなかったルールに「魔法」があります。魔法はユニット化されており、このユニットを布袋からランダムで引くことが特徴となっているのですが、盤上のシミュレーション以外のすべてのシステムを魔法に背負わせてしまうという冒険的な試みがなされています。なにしろ「全体のコンフリクトレベル(法と混沌への傾き)調整」「ランダムに襲ってくるモンスター」「移動補助」「召喚」「エルリックのランダム行動」等のすべてを無理やり魔法ユニットに詰め込んでいるのです。それランダムでいいのか? というものまですべて! 結果として、魔法の引きがすべての運ゲーが展開されます。

一国家のキャラクターはこんなもん。戦力は最高でエルリックの6。

 

 なにしろプレイヤーは一国家のみからのスタートで、メルニボネ陥落にはとても戦力が足りない。そこで最初はユニットが存在しないNPC国家を「召喚」しなければならないのです。召喚は魔法使いが最初にランダムで持っている魔法か、荒れ地に配置されている野良魔法を探索で拾わなくてはなりません。召喚は魔法に土地名や個人名が書いてあるので、その該当首都まで行って召喚、というプロセスです。しかし、荒れ地ではランダムに魔法が襲ってきますし、魔法を探索で拾えるかはなぜかダイスで二分の一を成功しなくてはなりません。当然、スタート時から隣接していた魔法を五ターンくらいまで拾えないなんてこともそれなりにあります。魔法を拾えないとゲームに参加できていないことと同義なので、ダイス目ひとつでものすごい虚無が体験できます。しかも引いた魔法で召喚できる土地が対角線の反対だった場合、最終ターンでの召喚が確定するという虚無もあり得ます。今では考えられないゲームデザイン

 逆に「テレポート」「記憶の鏡(陸軍・海軍喰らい)」という二種の魔法が揃えば、魔法使い単騎であっという間に当該の地を滅ぼすという極端なことも可能です。それぞれ好きな土地に移動と軍隊を壊滅させるという魔法で、一枚ずつしか入っていませんが……。

 しかしながら「原作ファンなら買いか」というのも嘘ではなく、「いたねぇ、こんなキャラ」という人物がユニット化されており、マップ上に展開します。すべてイラスト化するのは大変な作業だっただろうに……。であれば、「○○と○○が戦争!」とか「○○がエルリックの悪夢により惨殺!」とか、ランダム要素を原作を読み込んでいる人特有の妄想力で楽しむことができます。

乞食国家の皆様。ホントにそういう設定なのだ……。

 

 そんなわけで新しいコミックも翻訳されていることだし(続刊出ないね)、原作の熱心なファンなら眺めるだけで満足できる(ある意味プレイしてはいけない)本作、オークションでしか手に入りませんが、一見の価値はあります。アートワークはそのままにリメイクされないもんでしょうか。

中途ターン。ここで伏せてある魔法が拾えないとエルリックがいても戦力が足りん。

『異界心理士の正気度と意見―いかにして邪神を遠ざけ敬うべきか―』単行本本日発売!

文ノ梛先生による当日イラスト!

『異界心理士の正気度と意見―いかにして邪神を遠ざけ敬うべきか―』一巻、本日発売となりました! 森瀬繚先生による豪華神話解説、作品解説、新規イラスト、私の新作短編、TRPGにも役立つ異界となった鎌倉ハザードマップは単行本だけ! ご購入のほどよろしくお願いいたします!

 

 

『異界心理士の正気度と意見―いかにして邪神を遠ざけ敬うべきか―』コミカライズ連載開始

先だっての予告通り『異界心理士の正気度と意見―いかにして邪神を遠ざけ敬うべきか―』コミカライズが連載開始となりました。

大船観音をバックに大船駅コンコースに立つ純ちゃん!

firecross.jp

特設ページも御覧ください!

firecross.jp

本格和製クトゥルフ神話譚となっております。是非!

単行本も8月1日発売! 書影出ております! この夏は『異界心理士』で盛り上がれ!

 

 

『異界心理士の正気度と意見―いかにして邪神を遠ざけ敬うべきか―』コミカライズ

『異界心理士の正気度と意見―いかにして邪神を遠ざけ敬うべきか―』コミカライズががコミックファイア様にて7月15日より連載されます!

描くのは『旅とごはんと終末世界』の文ノ梛先生!

江ノ島クトゥルフが上陸した日本で狂気汚染に挑む人々は……」というクトゥルフ神話に連なるストーリー!

予告編を作りましたのでご覧ください。

 

www.youtube.com

文ノ梛先生のファンはホラー愛好家でもある先生の新境地を、クトゥルフ神話ファンは久方ぶりの日本でのストレートな神話作品を、本ブログの読者は私の原作がどう解釈されたかをお楽しみください!

 

firecross.jp

 

新作『邪宗狩り』

 カクヨムに新作『邪宗狩り』を公開しました。

kakuyomu.jp

 ジャンルは「ホラー」「宗教」「奇書」などとなっております。本ブログでオカルト関係の記事をお読みくださっている方にはすんなり入っていけるものと思っております。とはいえ自分でもわけのわからぬところもありますので「お、こういう方向の娯楽作か……いや、なにこれ?」となっていただけると嬉しいです。

 単行本一冊分で完結した作品ですので、すべてお楽しみいただけます。

 今後『異界心理士の正気度と意見―いかにして邪神を遠ざけ敬うべきか― 』についても続報あると思われますので、そちらとともによろしくお願いいたします。

ふたたび日本のQアノンについて(後編)

 ここでは日本のQアノンである『QArmyJapanFlynn』メンバーのブログを紹介します。晒す目的ではないため、直接のリンクでなく引用で提示させていただきます。画像もそのまま掲示しますが、そもそもが著作権違反の画像であるため、該当ブログの方の許可は不要と考えています。文章につきましては批評が主目的の引用の範囲と認識し、一部を転載します。ご本人からの抗議等ありましたら引用を削除し、直接のリンクへと変更させていただく対応をいたします。

 批評の目的は、引用ブログがQアノンへの勧誘文として秀逸であるためQアノン思想の根底部分を象徴するものになっていると感じ、それについて批判するものです。

 それではまず引用です。

 

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💊目を醒ます👀✨

「目を醒ましていなさい」といったのはイエス・キリスト🙏✨でも弟子達は我慢できずに眠ってしまうのです〜😴💤

ならば尚更、迷える子羊達の眠りはどれほど深いでしょうか?私達は眠らされています。つまり洗脳されています。騙されています。

誰に?

社会に

メディアに

国に

世界に

この世界のほとんどすべてに…

💢「失礼ナ❗そんなことはナイ❗私はちゃんと自分の意志で生きてるゾッ❗」ヽ(`Д´)ノプンプン

という方もいると思います。

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👉《覚醒(かくせい)とは、目がさめること、また【意識や感覚がはっきりと働きはじめる】ことを意味する言葉。比喩的に【それまでの過ちに気付いたり、迷いから覚めたりすること】についてもいう。(実用日本語表現辞典)》

どうでしょうか?

あなたは目が醒めていますか?

 

 

朝起きて洗脳装置TVをつけてグリホサート入りのシリアルを食べる。電車の中で位置情報発信スマホフェイクニュースをチェック。ディープステート企業でピラミッドの人間関係に神経をすり減らしながら、バックドア付きWindows情報ダダ漏パソコンでお仕事。仕事終わりにコンビニに寄って添加物で出来たスイーツでおやつ。帰宅して、洗脳装置TVを見ながら抗生物質まみれの肉を頬張る。石油で出来た洗剤で体を洗い、フッ素入の歯磨き粉で歯を磨き、化学繊維の布団で寝る。寝ている間もスマホは粛々とあなたの生体データを取得している。

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おやすみなさいzzz

目覚めないように…

深く深くおやすみなさい

そして何も考えずに

なんとなく生きて

人のことは考えず

自分のことだけ考えて

なんとなく楽しく

お金を稼いで

お金を使って

全て使って

死んでいってほしいと

願っている奴らに

TVを使ってスマホを使ってニュースを使ってマスコミを使って政府を使って権力を使って全力であなたのあなたらしさ人間らしさを眠らせようとしている奴らが世界を動かしていますがそれでも自分は洗脳されていないと言えるでしょうか?

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こちらの動画を見てから考えてみてください。🎦QArmyJapanFlynn動画「THE PLAN TO SAVE THE WORLD」

 

あなたが思っている普通は

普通じゃない

あなたが思っている常識は

常識じゃない

この世の中は狂った奴らか支配してる

この世の中は嘘だらけだ

それに気づいたら…

RED PILL💊※

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✨おはようございます☺️🙏✨

ようやく目が醒めましたね💊

深い洗脳からの脱出

おめでとうございます

お覚醒めはいかがですか?

とりあえず珈琲でも飲んで

これからの事を考えましょう

もちろん一人ではありません

みんなで一緒に✨

「WWG1WGA」

「我ら一丸となりと共に進まん」

一人ではありません

共に進みましょう☺️🙏✨

※RED PILLとは映画マトリックスに出てくる覚醒のトリガーとなる赤い薬💊のこと。ひいては現代社会の洗脳から目覚めるきっかけを意味します。

 

引用ここまで

 

私達は世界に騙されているという思想

 開幕から「私達は世界に騙されている」という主張からはじまります。「朝起きて~」からの段落が彼らがどのように世界を“見てほしい”かを表しています。

 「洗脳装置TV」はTV番組が権力者によって作られていることを。「グリホサート入りのシリアル」はバイオ企業モンサント(すでにバイエルが買収したが告発ドキュメンタリー映画が有名であり陰謀論者の間ではモンサントのまま記憶されている)の有名除草剤ラウンドアップの主成分がグリホサートであり、その耐性を持つ遺伝子組み換えした作物種をモンサントが寡占していることを示しています。

 スマホは「位置情報」を発信し続けており、情報はほとんどが「フェイクニュース」と断言。おまけにあなたが大企業勤務であった場合、そこを「ディープステート企業」としています。パソコンのOSは「バックドア付き」で、スイーツには「添加物」、肉も「抗生物質」にまみれ、「石油で出来た洗剤」に「フッ素入の歯磨き粉」、「化学繊維の布団」とくれば、彼らの世界観は「生活のほとんどが人為的なもので支配されている」というものであることがおわかりいただけるかと思います。

 人為的なものしか周囲に存在しない。だが人為的なものに介入可能なのは我々でなく権力者である。故に権力者は我々を騙すことができる。このように陰謀論者は考えているのです。

 

社会参加の欠如

 生活のほとんどが人為的なもので占められているのは、そのように社会が発展したのだから当たり前です。陰謀論者たちは化学物質への強い忌避感を持っており、作用物質のみを抽出したり濃縮した添加物を嫌いますが、自然物も結局は同じ化学物質が含まれていることを無視しています。人為的なものに介入可能なのは我々でなく権力者という実感があまりに強く、企業が利用している科学を一般人も再現可能であることにまったく考えが及んでいないのです。

 権力者は我々を騙すことができる。これはもちろん正しい結論です。騙されないようにするために知識を身に着けなくてはいけない。ここまでは陰謀論者も正しい道筋で思考しています。ただし、その勉強方法が「陰謀論の動画を見ること」であるのが大きな間違いです。企業が信用できないならその製品を検証できるだけの科学知識を身につける。政治が信用できないならまずは市町村のモニター活動に参加して政治決定の現場を見る。これだけでも権力者や大企業が一般市民になにをしているかを一個人の視点から想像できるようになります。

 まず陰謀論者には社会参加意識が欠如していることになります。

 

人間性は人質に取られている

 つまり陰謀論における「勉強する」という用語は「権力者が悪事を行っているという情報を探す」か「人物や事件が我々の側か悪事を行っている側かを指摘する」ことを指しています。善悪の判断基準はとても曖昧です。大量消費社会がもたらした生の実感の欠如を悪としていることだけは感じられます。

 「人のことは考えず」「自分のことだけ考えて」「なんとなく楽しく」「お金を稼いで」「お金を使って」という文章から伝わってくる生の実感の欠如は馬鹿にすることができぬ深刻さを伴っています。家庭をもっていたり企業に勤めている陰謀論者もいるはずですが、社会参加の実感がない、あるいは社会参加できるだけの能力がないということになると、彼らが探すべきは自分をそのように追い込んだ悪でなく、生きがいという善でなくてはいけないのですが、Qアノンが語りかけてくるのは「あなたらしさ」「人間らしさ」という漠然とした言葉でしかありません。

 しかも「全力であなたのあなたらしさ人間らしさを眠らせようとしている奴ら」という言葉で表されている通り、悪を断罪する文脈で使用されているのです。取り戻すべき人間性の素晴らしさを語るのではなく、それが人質に取られているから重要である、いう意味合いでしかないのです。

 陰謀論は自身の善性を定義していません。それは彼らが悪とする存在への容赦の無さからも感じられます。善を為したいという欲望は一見すると優しげな言葉遣いから感じとれますが、仲間かそうでないかを分別しようとしているだけで、善性の希求からではありません。

 

なにを読み取って人はQアノンになるのか?

 ではQアノンになるためにはどうすればいいのか? 彼らの仲間になったら悪と戦えるのか? それにも明確な解答はありません。動画を見て「目覚める」ことがスタートとありますが、伝えられるのは悪が世界を支配しているという姿だけです。「悪が支配していることに気づくのが重要なのだ」ということでしょうが、気づいたところで何もしなければ、前述の文章の通り「なんとなく楽しく」人生を終えられる、と彼ら自身が語っているのです。

 つまりこの勧誘文は「あなたは人生になんとなく不満がありませんか?」「もっとすごい人生があり得たのだと思いませんか?」というメッセージなのです。社会参加というものにまったく考えが及んでいない人々の心をざわつかせるすごい文章だとお世辞抜きに思います。

 

RED PILL

 悪の支配に気づくことを指し、象徴的に繰り返される「目覚める」という言葉ですが、これはブログの補足解説にもある通り映画『マトリックス』のギミックです。RED PILLを飲むことにより、自分の世界が仮想現実であることに気づくという仕掛けになっています。他にも画像として『ゼイリブ』と『女王の教室』が使用されています。

 もちろん本家Qアノンが使用しているネットミームであることは承知していますが、日本Qアノンでも使用され、さらに『女王の教室』まで加わっていることが、彼らのコンテンツへの理解度の浅さを物語っており、重ねて社会参加への無理解も伝わってくるものとなっています。

 そもそも『マトリックス』が1999年、『女王の教室』が2005年という古い作品であり、『ゼイリブ』に至っては1988年です。それだけ長い間、作品の位置づけがどうだったか、監督や脚本がどのような意図でそれを描いたかについての考察をまったくしていないというのは、彼らが前後の文脈をまったく無視した切り抜きを行っているだけということを示しています(『ゼイリブ』の長いプロレスシーンや、『女王の教室』の『笑ってはいけない~』登場シーンをうまく引用できたらそれはそれで感心しますが)。おそらく『マトリックス』はシリーズ続編を、他二作に至っては全体を見てすらいないでしょう。

 そのため、象徴である「RED PILL」がなにかということは、重要であるにも関わらずまったく提示されません。それによって「目覚めた人々」が「共にに歩む」というイメージがあるだけです。ここから読み取れるのは、「コミュニティに参加せよ」というメッセージだけです。

 

与えられるのはコミュニテイだけ

 改めてこれまでの分析を振り返りましょう。

 「社会参加不全者」が「人生への不満を感じていないか?」と問いかけられ、「それが社会が悪に支配されているからだ」と解答を提示され、その後に与えられるものは「Qアノンというコミュニティ」である。これがQアノン勧誘への道筋です。

 だとすれば「Qアノンの本体とはコミュニティであり、そこで楽しむことが会員の活動である」と断言して良いのではないでしょうか? 『QArmyJapanFlynn』は「デモへの参加をお勧めしません」とさえしていますので、中心となって具体的な活動をする意志はいまのところはないと感じられます。

 となれば問題となってくるのは二点。「そのコミュニティとはどんなものか?」と「どうして危険な思想になってしまっているのか?」でしょう。

 

ネット掲示板文化から振り返る

 その疑問については、なぜわざわざ本家Qアノンがポップカルチャーの切り貼りであるネットミームを使用し、そのネットミームがまるで文脈を知らない日本のQアノンにまで伝わっているのか? を考えることで理解できると私は考えます。

 まずQアノンが誕生した掲示板である(現在ではQアノンは排除されている)『4chan』が『ふたば☆ちゃんねる』にあこがれて作り出されたものだということから振り返りましょう。

 『ふたば☆ちゃんねる』は文字掲示板であった『2ちゃんねる』の避難所として広まり、その内部に画像を貼り付けることのできる「板」と呼ばれる掲示板を持ったことにより人気を博します。当時(2000年代初頭)はサーバー容量の問題から画像を貼ることのできる掲示板は多くありませんでした。しかし、ユーザー個人はビデオボードや大型ハードディスクの普及などによりそれなりの容量の映像や画像を保持できるようになっており、画像を大勢で共有するという行為が大きなニーズを持っていたのです。

 高性能PCを持っていたユーザーが放送されている最中のアニメから切り取った画像を貼り付けることは「実況」と呼ばれて流行しました。高画質の画像を投稿できるユーザーはしっかりと周囲に存在を認知されていたものです。画像を拾う立場のユーザーはそれをPCの壁紙にしたり、コラージュに加工することに楽しみを見出しました。同人誌のページをスキャンして順番に貼り付けていき、全部集めると一冊の本になるという「連貼り」もブームでした。

 ご想像の通り著作権的には違法です。ですが、いずれも新技術によって実現した現象ですので、裁判的には判例が不足していました。現在でも違法アップロードは数が多すぎる場合、立件が難しい側面もあるくらいですので、当時としては尚更、ユーザーたちの意識において「違法であるとはわかっているがどう扱ったらいいのか?」という悩みは切実なものでした。違法アップロードされた同人誌の作者が掲示板ユーザーであったケースなど当たり前のようにありましたし、そういった倫理だけでなく「違法アップロードが掲示板全体の容量を圧迫するので邪魔」という実利面の問題もありました。

 法律による規制を期待できないユーザーは、独自の暗黙のルールを打ち立てていきます。「掲示板の保存する容量を越えたものは消去されるに任せる」ことや「掲示板内部で起きたことは外に持ち出さない(個人ブログ等で扱わない)」こと「掲示板参加時は匿名を厳密に守り自己顕示しないこと」などが自治のために定着します。「エンジョイ&エキサイティング」を標語とする(元は漫画『ベルセルク』のワンシーンに過ぎません)など、センスが良いかどうかによって行動の正否を判断することも尊重されました。

 『4chan』が憧れたのは、まさにこの空気でしょう。「犯罪かどうかでなくセンスが良いかどうか」が行動の規範であり「アニメ・漫画の画風やメッセージをセンスの根拠」としており、「コミュニティへの無償奉仕」が史上の価値なのです。アニメや漫画のファンが一時的に逃亡する仮想の国家として理想的な場所です。

 最先端であったのは贔屓目で見ても5年程だったでしょうが、その先進性も光っていました。「コラージュの結果、既存のキャラクターに別の設定が付与されてしまった」もの。つまりネットミームとされるものは『ふたば☆ちゃんねる』を大きな起源としますし、それは現在でもTwitterで流通しています。現在の日本ネット文化の多くに影響が見て取れますし、「あるキャラクターや事象に不特定多数が情報を付与することで新たな意味を持たせる」ことはまさにQアノンに引き継がれています。

 

換骨奪胎されたコミュニティ構築方法

 意識的にか無意識的にか、Qアノンはそのコミュニティ構築方法のみを引き抜いていきました。「犯罪かどうかでなく身内のノリを重視する」こと「アニメ・漫画のコラージュであるネットミームを共有する」こと「完全匿名でコミュニティへ無償奉仕する」ことがいわばネット上の秘密結社に都合が良かったわけです。

 身内ノリとネットミームは本来、早いスパンで変化することで機能を発揮するものです。話題が変化し続けることでコミュニティへの継続参加が促されるというわけです。ですがQアノンは、引用ブログの画像を参照すれば前述の映画群や「カエルのぺぺとドクターマリオのコラージュ」という古さです。最初に与えられたミームから更新されていない。これは彼らの知的活動の鈍さを表してもいますが、コミュニティに参加し続ける意欲を生み出す新規の話題を「真実めいた政治事情」へと移行したことを示しています。

 Qアノンから提供されるニュースは、それを読む限り「情報の真実らしさ」が重視されています。「重要な役職にある人が語ったことを裏読みするもの」や「入手された機密文書」、「写真に偶然写った物品のひねくれた解釈」、「インサイダーによる匿名での告発」がホットトピックです。

 Qアノンはかつてオタクたちが楽しんだ閉鎖空間の構造を利用し、そこに引きこもったのです。特に日本におけるQアノン活動は、もはや生きづらい人にコミュニティを与える意味しかないと私が考える意味はこれで理解いただけたと思います。

 では、なぜQアノンコミュニティが危険であり、それがある程度長く存続するだろうと考えているのか? そこはネット掲示板コミュニティが初期に持っていた「ある空気」が重要なのではないかと推測しているからです。

 

永続する革命

 『ふたば☆ちゃんねる』が持っていたのは「自分たちが先端である」という空気です。新しい技術に馴染んだ人々であったのだから当然ですが、技術面を除けばそれが根拠のないものであったことも確かです。かろうじて拠り所となったのは「流行を作り出せたこと」と「現行法で対処できないことを実行していた」くらいでしょう。それでも生きづらいアニメや漫画オタクがプライドを持ったことがここでは重要です。

 ですが「自分たちが先端である」というプライドは、そこに没頭する間しか持つことができません。匿名性が「個人を認知される」ことを妨げ、センスが重視されることが「理念による連帯」を妨げていたからです。これは「掲示板を読んでいる間だけは革命に参加している」という感覚を醸成しました。

 Qアノンコミュニティにも明確にそれは引き継がれています。掲示板から情報を得て、自分もそれに参加することは、「間違った情報に支配された遅れた人々に先駆けて、いずれ先端となる自分たち」を確認し合う行為なのです。

 もちろんその認識は、思想が存在せず、先端と錯誤できるのは他人から認められていないからに過ぎないのですが、そのためQアノンはコミュニティに参加する限り「永続する革命の高揚感を謳歌できる」のです。

 

中核だけは生き残る

 そのような実情から、Qアノンは新規プラットフォームが作成されるたび、そこを転々としながら生き残り続けると考えます。おそらくは「情報の真実らしさ」というセンスの泉が尽きるまで。というのもQからの一次情報提供は、最低限であれセンスや知識を要する(寄生する情報は正確である必要がある)からです。つまり、多くの人々にインパクトを与えるネットミームを生み出した初期Qは、かなり高い確度で心底からの陰謀論者ではありません。混沌を目指す心底からの加速主義者や、サブカルに通じるオルタナ右翼たち(長くなってしまうので意味は他でお調べください)が社会不安の増大やイタズラのためにQとして振る舞ったのでしょう。

 現状では、初期からコラージュが変化せず、政治団体特有のシンボル作成だけが上手くなっていくなどセンスの低下は明らかです。一次情報提供者が右派政治団体陰謀論者になってしまっていることを証明してしまっています。とはいえ、まだ新規の情報が提供される限りは、つまり右派ハッカーたちが完全に飽きるまではQアノンの中核は生き残ることになります。外部からは社会を混乱させるために。内部の人々は永続する革命を味わうために。

 

革命を実行しようとする者たち

 実のところ日本における『QAJF』の全員、そして米国のQアノンたちの大部分は「革命の気分」だけを味わっている。そこに実害がないことはすぐに理解できると思います。問題になるのは、外部に流失してしまった「革命」なのです。

 引用した勧誘文からも「革命の気分」は非常に強く伝わります。革命のための檄文であってもおかしくはない。『QAJF』は革命の気分だけを味わっていることを自覚してはいないのです。Qアノンの翻訳者であるEriなる人物は自覚しているため非行動を呼びかけているのでしょうが、メンバーは「自分たちが行動しないのは時が来ていない」ためか「目覚め、とは内面の問題で覚醒者が増えれば超常的な解決が待っている」と認識しており、行動しないのは社会参加についての知識も能力もないためである、という事実を直視する勇気はありません。

 それでも米Qアノンについての断片的な情報と檄文だけは外部にさらされます。これが反権力、反企業を実行に移す集団に利用されないわけがありません。今は『神真都Q』がそれらをまとめ上げて反ワクチンの過激活動を行っていますが、すべての陰謀論を否定しない構造がある限り、同じことが繰り返される可能性は高いでしょう。

 さらに行動せずSNSで発言するだけの無数の陰謀論者も、もはや「革命の実行者」となってしまっています。前述のように本家Qアノンは主流SNSよりBANされており、その発言は特殊SNSでのみ行われていますが、影響された陰謀論者は主流SNSでBANされるまで陰謀論を発言し続けることができるからです。そして現在の陰謀論は米国では政治利用されています。さらに現在では彼らはロシアの戦争を支持しています。

 

政治利用された陰謀論は本物のテロとなる

 現在進行系のロシアによるウクライナ侵攻ですが、ロシア側のプロパガンダに「ウクライナ政権はナチスでありロシア系住民が虐殺されている」というものがあります。陰謀論者はこれを鵜呑みにしており、さらにウクライナをディープステートであるという設定を付与しました。

 陰謀論者が唱えている説は革命を期待する空気を内包しています。この場合も世論として劣勢であるロシア側の正しさと勝利を願っているわけです。

 しかし、社会参加の実感の欠如から、表でそれを発言することの意味を陰謀論者たちは軽視していると言わざるを得ません。非人道的な軍事活動の正当化を拡散することは、彼らにとっては革命であっても、一般には騒乱支援です。

 言論としての主張は自由ですが、その言論が根拠を示せないものであれば人々から敬遠されます。危険性のある意見ならば指弾されることも当然です。そうなったとき、陰謀論者はその革命性にすがるしかなくなります。つまり少人数で可能な革命=テロに走るまではあと一歩でしかないのです。

 これは「だから陰謀論者を非難するな」という意見ではありません。Qアノンの影響力を減少させることが、無数の陰謀論者たちの団結を防ぐことになるということです。これからも陰謀論者が尽きることはないでしょう。であれば、ほぼすべての陰謀論の保存場所であるQアノンが力を失うことに意味はあります。

 

彼らは残るが影響力を減らすことはできる

 現実問題として陰謀論を完全になくすことは不可能でしょう。Qアノン、日本では『QAJF』も長く続くだろうと思います。

 しかし、その影響を受けないことはできる。

 『QAJF』は図らずも陰謀論の集積地として機能しています。つまり、そこに掲載されいる情報が網羅的であればあるほど相互に矛盾する不正確なものになっています。彼らの言葉を借りるなら「自分で考えましょう」。彼らが光側の人間として尊敬している人々は白人支配層です。トランプはワクチンを勧めています。そもそも彼らはそれほど強い匿名性に隠れていないのにせいぜいが白い目を向けられているだけで逮捕されていません。

 彼らは自分たちが行動しないことの利益に感づいています。自分たちの主張が嘘であった場合の保険をかけ続けています。他人が行動して自分たちの主張が本当だと証明されれば良いと考えているのです。彼らは「共に歩んで」はくれません。

 ならば彼らは間違っているのです。その影響下にある論説によって革命へと急き立てられていると気づいたならば、すぐに行動しないという選択をするだけで善行が行なえます。革命に参加しないことは簡単です。積極的に行動しようと勧めてくる人々から距離を置くだけです。最初は難しいと感じるかもしれませんが、例えば会合への参加を減らしていき、やがてメールへの返信も減らしていく。要はサボるだけで良いのです。

 

彼らはオタクのマネをしているに過ぎない

 紹介したようにQアノンは日本のオタクコミュニティを模倣した米国掲示板を乗っ取ったに過ぎません。使用されるネットミームもその際の残滓であり、各作品のクリエイターがその使用に賛同しているわけではありません。初期の主張さえもオタクによる悪ふざけです。

 その閉じたコミュニティに先進性や革命性を感じ、魅力的に映ったとしても、それは過去のオタクたちが自分たちをそうと信じて作り上げた器があるからです。Qアノンは明確に古臭く格好の悪いものなのです。

 

過去に落とし前をつける

 私がこの記事を書いたのは、過去に落とし前をつける意味でもあります。オタクコミュニティを醸成し、それを楽しんだ構成員の一人として。そして今でもコンテンツに関わる作家として表明しておかねばなりませんでした。

 オタクコンテンツも、過去の文学作品が思想を育んだように、知識人に引用・利用されるようになりました。前述の加速主義者やオルタナ右翼がもちろんそうであるように。

 さらに言えばプーチンが侵略を行った背景にはネオ・ユーラシア主義があり、それがオカルト的民族主義まで内包することを考えれば、思想もそれを弄ぶコンテンツも現実化する危険を常に孕んでいるのであると言えるでしょう。

 思想とそれを弄ぶ批評、それらを具体化するプラットフォームとコンテンツが危険であるとしても、それを安易な革命として暴発させる最底辺の人々について責任があるとは言いません。ただ、それを認識し、修正していくことは必要なのです。